マルハニチロホールディングス社長の久代敏男は人情家であるに違いない。いや、人情家にならざるをえなかったのかもしれない。
久代は1971年に、マルハニチロの前身である大洋漁業に入社した。大洋漁業はその後マルハに社名を変え、2007年に、ニチロと経営統合を果たした。
久代は入社後すぐに人事部に配属され、その後ほぼ一貫して人事畑を歩いてきた。大洋漁業の看板である水産部門の経験はない。久代が入社したころの大洋漁業は、世界の海をまたにかける大船団を有していた。「会社に入ると、社員手帳を渡されるんですよ、4月1日に。手帳の後ろに、当時、太陽漁業が持っていた船舶の一覧表が、だーっと何ページにもわたって掲載されていた。捕鯨の母船からはじまって、北洋のトロール船まで。それを見たとき、やっぱり世界一の漁業会社に入ったんだなあって、再認識しました」。
大洋漁業に限らず、日本の大手漁業会社ほど、国際政治と国際ルールの変動に、もみくちゃにされた業界はあるまい。70年代に入って、海洋資源を囲い込もうという200カイリ規制が世界の潮流となり、遠洋漁業が大打撃を受ける一方、国内では中小漁業関係者を保護するために、沿岸漁業へは出ていない。一言でいえば、魚を直接とるという意味での漁業からの撤退とリストラの連続だった。
「毎年、毎年、適正要員化というのばかりやってきました」と、久代は自らの人事部時代を振り返る。しかしである。久代は人事課長になったときから、絶対に従業員を路頭に迷わせないことを信念とした。