「ダウン症児の親ではないのに、なぜ書くのか」
河合は障害に対して、無理解な書き手ではない。最初の著書『セックスボランティア』(新潮文庫)のテーマは「障害者と性」だった。障害のある友人も多く、障害と命の軽重は関係ないと思ってきた。
その彼女であっても、出産では「身勝手に、子の五体満足」を願った。河合は、社会からの批判を真正面から受けることになった母親に「会わねばならない」と北海道に飛んだ。
《最初は週刊誌、それから月刊誌にこの本の元になる原稿を発表しました。その時はいろいろな批判を受けました。これは書籍化は難しいなと思ったんですね。
例えば「河合の子供はダウン症なのか? 当事者でないのになぜ書くのか」という批判。そして「このような裁判がおきることだけで傷つく人がいる。そのような考えを伝える必要があるのか」という声もありました。
当事者ではないとわからないだろう、という批判は『セックスボランティア』の時にも受けました。ただ、私は体験しなければわからないという批判は意味がないと思っていました。私はあくまで書き手という立場で、書き手という距離から見たものを書きたいからです。》
今までの自分は「わかったような気持ち」になっていただけだ
河合の取材依頼に対し、光は、最初にインタビューに応じると答えたものの、その直後に断りの電話を入れ、さらにもう一度電話をして河合の取材に応じると言った。
今までの自分は「わかったような気持ち」になっていただけだ。
揺れ動く母親の気持ちと河合は向き合っていく。
《彼女の本当の思いは短い報道だけでは伝わらない、実際に会ってみないとわからないと思っていました。それはちょっと矛盾した言い方になるかもしれませんが、私が出産を体験して「綺麗事だけではない」という現実を知ったことが大きいです。
私は障害について無知からくる偏見をそれほど持っていないと自分で思っていたのですが、いざ、自分の子供に障害があって生まれてくるかもしれないというときに、大きな葛藤がありました。
そこで、今までの自分は「わかったような気持ち」になっていただけだと強く思ったんです。これまで取材に協力してくれた人たちに謝りたいと思いました。自分は何もわからずに、わかったような気持ちで書いていたかもしれないと。
この母親を安易にわかったような気持ちにならずに、それでも理解したいと思いました。光さんもまた、この訴訟に踏み切るまでに、何かギリギリの切迫感に直面したのかもしれない。自分自身の存在を懸けて、訴訟をしたのかもしれないと思いました。
人生を懸けた決断に対して、「命は尊いんだ」と批判しても、それだけでは割り切れないことはあるわけです。彼女の葛藤や決断に至るまでの苦しみや選択の過程は、それこそ聞かないとわからないですよね。》