「私は彼女のことを特別な人ではないと思っている」
センシティブなテーマである。ニュースの世界で生きてきた私は、社会に波紋を広げるような問いを投げかける「物議をかもした人」にインタビューをする際の心得はあるのか、と聞いた。
河合はここで「うーん」と首を傾げた。
《私とは取材のスタート地点が違いますね。私は光さんを物議をかもした人とは思っていなんです。普通の母であり、女性だと思って、取材を始めています。
出生においても、あるいは終末期においても、命を選ばなければいけない場面は、少なからぬ人が直面しうる問題です。光さんは大きな葛藤の末に訴訟を起こさざるを得なかっただけで、彼女自身は自分や周囲の人となんら変わりがない。生きる上での葛藤に善悪はないと感じています。
ですから、私は彼女のことを特別な人ではないと思っていますし、特別な人に会いにいくという気構えもありませんでした。》
あらゆるメディアは光を「特殊な母親」として扱った。だが、果たしてその理解は適切だったのだろうか。
「人間は本来、要約できないものも抱えている」
光の主張は揺らいでいる。当初、弁護士は「ダウン症だと知っていれば中絶していた」と訴状に書いていたが、光は「中絶していた可能性が高かった」と書き直すように求めた。
河合はこの揺らぎを感じ取り、「理解できるかもしれない」という思いを強める。
《報道だけでは、どこまで理解できるだろうという心配もありましたが、最初にお会いして「理解したい」と思いました。
私は光さんが弁護士に訴状を書き直すように懇願したという話を聞いた時に、この揺らぎを当然だと思いました。最初に決めたことを、やっぱり後から考えて、もう一度決断をやり直すということは重要な場面であれば、誰しもが経験しうることです。
ネットニュースでは、はっきり論を立てて、きちんと要約できるような形で伝えるのが大切だという風潮が強いと思います。
それはそれでいいのですが、一冊の本としてノンフィクションを書くときに大切なのは、「人間は本来、要約できないものも抱えており、善も悪も正義もすべてが混ざり、ぐちゃぐちゃとしている」ということではないかと思っています。
人間は大切な決断を前に揺らぐし、決断してからも本当に良かったのかと考える。その揺らぎや葛藤を描くことがノンフィクションの醍醐味だと思うんです。》