浄土真宗では、人間はこの世で生を終えると阿弥陀如来の慈悲によって極楽浄土に往生し、仏になる。そして衆生(人々)を救うため、再びこの世に戻ってくると考える。

安永氏はこうした教えが、ともに仏教を学んだ仲間と触れ合い、また、僧侶として葬儀で悲しみに暮れる人たちと話すうちに、よりしっくり来るようになったという。

「死はお別れではなく、先立たれた人は仏様になられて私たちを見ているし、また戻ってくる。自分が死んだときも同じで、遺された人たちを見守り、そしてまたいつかこの世界に来る。そう考えることで、『死んだらすべて終わりだ』という物語を受け入れるよりも、生きることが楽になる。そういうことが、座学ではなく宗教者として実践するうちに身体に染みてきました」(安永氏)

敷居を低くし「きっかけ」を作る

ビジネスパーソンとして数字を追うのは「合理」の世界であり、数字は客観的なものだ。しかし、なぜ自分はその数字を追うのかという理由や動機は「非合理」の世界の話で、主観的なものだ。

しんどい出来事に見舞われたときに心の最後の防波堤となる主観的な物語、自分の行動、仕事に意味づけをしてくれるものがなければ、激しさに負けて心が折れてしまうかもしれない。人は合理と客観だけでは生きられない。

長年人々のさまざまな不安、苦しみに向き合ってきた伝統的な宗教は、人々から相談さえされれば、合理では割り切れない悩みを軽減しうる言葉を持っている。

けれども葬儀や法要、墓以外の接点を失ってきたがために、言葉を届けることが困難になっていた。築地本願寺はその資産を活かすべく、アクセスの「きっかけ」となりうるカジュアルな入り口をいくつも用意した。

敷居を低くし、身近さ、気軽さを打ち出すことでたくさんの人に本来持っていた価値に気づいてもらう回路を作る――この考えは、仏教に限らず、伝統ある企業や地域などにもヒントになりそうだ。

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