第一次世界大戦の戦死者を上回るスペイン風邪の猛威

20世紀初頭には世界的にスペイン風邪が流行した(1918~20年)。その惨状を伝える新聞記事は次のように始まる。

学校を襲い、寄宿舎を襲い工場を襲い、家庭を襲い、今や東京市中を始め各府県にわたりて大猖獗を極めつつある悪性感冒は単に日本のみならず実に世界的に蔓延しつつある大々的流行病にしてその病勢の猛烈なる実にいまだかつて見ざるところなり(読売新聞1918年10月25日朝刊、一部現代仮名遣いに改めた)

女子学習院やお茶の水の東京女子高等師範附属高等女学校でも多くの学生が感染し、小学部・幼稚園も含めて休校措置がとられた。特に感染率が高かったのが八王子市だ。市内の高等小学校の生徒と教員の半数が感染し、市内すべてが休校になった。新聞は「教育会恐慌」という見出しで、このことを報じている。

その数日後には北海道札幌市の学校でも感染が広がっている。経済への打撃も深刻だった。特に被害が大きかったのが銭湯で、通常であれば毎日平均600人客が来ていた店でも200人まで落ち込んでしまったという。

1918年12月24日の記事の見出しは「死者六百万人 12週間に流行感冒と肺炎で戦死者の数の5倍に達す」である。この1カ月ほど前に第1次世界大戦が終結し、全世界で1600万人という人類が経験したことのない規模の死者が出ている。だが、スペイン風邪の死者のペースはそれをはるかに上回るというのだ。実際、WHOによれば、スペイン風邪は4000~5000万人の死者を出しており、例外的なパンデミックとして、人類史の中で最悪のものとして位置づけられている。

現在の苦しい状況も初めてのものではない

新型コロナウイルスの流行により、これまでの日常だった社会生活の多くに制限が課されるようになった。まだまだ終息は見えず、不安な状態がしばらく続くだろう。

疫病は古くから人間の命を脅かす主要因であり、現代でも容易には克服できないことをあらためて実感させられる。そして科学が未発達だった時代には、疫病はさらに恐ろしく、ただただやり過ごすしかなかっただろう。そのような時に、神仏に祈るのはごく自然な心の働きに思われる。

しかし、現在も各地に残る疫病除けの寺社や伝承は、これまでも疫病は至るところで繰り返し流行したが、私たちの社会は最終的にはそれらを乗り越えてきた証拠ではないだろうか。八坂神社や素盞雄神社は、現在の苦しい状況も初めてのものではなく、いつか克服したものであることを伝えてくれるのである。

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