明治期にも同じような事態は起きている
今回、八坂神社には期間外に茅の輪が設置されたが、これは143年ぶりのことだという。それくらい異常な事態が生じているということだが、しかし、以前にも同じような事態が起きたということでもある。前回は1877年9月末、コレラの流行時である。明治維新以降、江戸時代よりも人の移動がはるかに活発になり、日本はたびたびコレラに苦しんだ。そうした中で、現在と似たような出来事も起きている。
1877年の読売新聞は、数カ月前から清国で猛威をふるうコレラを不安げに報じている。特に7月にアモイで感染者が大量発生すると、横浜では早くも警戒態勢が敷かれ、感染者が入国した時のための隔離病舎の建設が始まっている。8月には、神戸に入港した英国船にコレラに感染した清国人が多数乗っており、一部は密かに日本に上陸したという噂が広がった。
外出制限で自殺未遂を起こした兵士
その2年後の1879年には、活動自粛のストレスが近衛兵の自殺未遂事件を引き起こした。近衛部隊では、不潔な飲食を介したコレラ感染を防ぐため、外出が厳しく規制された。兵士が休日に出かけられるのは神田神社と靖国神社のほか1カ所に制限され、しかも外出時には、監視として下士官が同行しなければならなかったのだ。この不自由な状態に耐えきれなくなった兵士の1人が、外出中、監視の隙をついて飯田橋の井戸に飛び込んだというのである。
また、飲食を介して感染するコレラは祭りをきっかけに感染者が増加することが多く、コレラ流行のたびに寺社の祭礼が中止されている。1886年には、コレラ流行による空前の不景気を吹き飛ばすために、久しぶりに神田神社の祭礼を行おうということになった。山車の準備も始められたのだが、祭りの許可を当局に求めたところ、不景気のために税金の未納が多く、「祭りの前に税金を払え」と言われてしまったというオチがついている。