疫病除けの伝承と神事は各地に存在する
疫神社の祭神は、各地で信仰される蘇民将来である。伝承によると、素戔嗚が旅の途中、兄の蘇民将来と弟の巨旦将来に宿を求めた。巨旦は裕福であるにもかかわらず断ったが、貧しい兄はできる限りの歓待をした。素戔嗚は、その礼として茅の輪をつけていれば厄病を免れることを教えた。そしてまもなく、疫病が流行し、蘇民将来の一家だけが助かったというのである。
地域によって違いもあるが、この伝承に基づいて各地で御守りや家の門扉に「蘇民将来之子孫也」と書く習慣が生まれた。伊勢神宮前の土産店でも、蘇民将来の関連グッズが好評だという。茅の輪のほうは、神社の夏の風物詩として見かけたことがある人も多いだろう。かつては夏に伝染病が多く発生したため、6月30日に各地の神社で疫病除けのために茅の輪くぐりが行われるようになったという。八坂神社の場合、祇園祭の最後の神事として、7月31日に疫神社の夏越祭が行われる。
東京にも疫病除けの神社がある。かつての江戸の町の北東端、千住大橋の近くにある素盞雄神社である。江戸時代から、コレラが流行すると参詣者が激増したという。同社でもっとも重要なのが6月に行われる天王祭だ。この祭りでは、神輿振りという珍しい渡御が行われる。担ぎ手が神輿を左右交互に90度近く倒すのだ。神輿をあえて乱暴に扱うことで、神威力をさらに高めようというのである。
疫病に関する伝承が受け継がれている理由
筆者が強調したいのは、どこの寺社が疫病除けに効くのかではない。茅の輪くぐりも蘇民将来の護符も非科学的な呪術だ。仮にこれらを目的にした人で寺社に行列ができるようなことがあれば、逆効果でしかない。注目したいのは、疫病除けの寺社が全国各地にあり、さまざまな伝承が受け継がれているという事実そのものだ。
雨乞いや疫病除けといった呪術は必ず成功する。なぜなら、呪術に頼らざるをえないほど科学が未発達な社会においては、雨乞いであれ疫病除けであれ、それに失敗したコミュニティは滅びてしまうからだ。そのコミュニティの記憶は受け継がれず、呪術ごとなかったことになってしまう。言い換えれば、疫病除けの神社や伝承が各地に存在するのは、これまで何度も疫病を克服してきたからなのである。