作家で起訴休職外務事務官の佐藤優氏が、衆議院議員の鈴木宗男氏について、こう述べている。「政界が『男のやきもち』の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌というほど見てきたが、鈴木氏には嫉妬心が希薄だ」「裏返して言えば、このことは他人がもつ嫉妬心に鈴木氏が鈍感であるということだ。この性格が他の政治家や官僚がもつ嫉妬心や恨みつらみの累積を鈴木氏が感知できなかった最大の理由だと私は考えている」(『国家の罠』新潮社 39頁)

確かに人は、自分自身を物差しにしてしか、他人を測れない一面がある。自分に下品さや嫉妬心がなければ、他人のそういった面を測れず、思わぬところで足元をすくわれる危険性があるのだ。

項羽と劉邦の覇権争いのなかで、同じ落とし穴に足をとられたのが、「兵仙」とも評された名将・韓信に他ならない。

韓信は、前にご紹介した「背水の陣」の故事でもわかるように、戦が天才的に上手だった。負け戦の多かった劉邦と違って、ほぼ百戦百勝ともいえる軍功を誇った人物だったのだ。

そんな韓信、劉邦と項羽が熾烈な争いを繰り広げていたとき、劉邦を裏切って第三の勢力を作るよう、勧められたことがある。

しかし彼は、こう言ってそれを断った。「劉邦殿は、わしをとても優遇してくださったし、恩義もある。利益のために道義を裏切って良いとは思わない」

また韓信は、自分には多大な功績があるので、よもや主人の劉邦がそれを踏みにじったりはしない、と信じていた。

ところが、この読みは甘かった。劉邦は実に猜疑心が深く、嫉妬深い性格の持ち主。天下統一後、自分の地位を脅かしかねない韓信の力を、計略を使ってそぎ落とし、たまりかねて本当に叛乱を起こした所を捕えて、誅殺したのだ。

いくら功績があったり、忠義を尽くしたとしても、猜疑心や嫉妬というファクターを考慮に入れないと、身を守れない場合が組織にはあるのだ。

この韓信が、劉邦の天下統一の軍事面の功労者だとすれば、もう一人内政担当の功労者に蕭何という人物がいる。