島国の弊害

ではなぜ、日本はここまで「性善説」でやってこられたのか。1つには、周囲を海に囲まれている点が挙げられるでしょう。島国であるため、武力的にも文化的にも他国からの侵略を受けにくかったのです。

1274年の「文永の役」、その7年後の1281年の「弘安の役」といった蒙古襲来はありましたが、それとて神風が吹いて難を逃れることができました。こうした外国から攻められにくい立地条件は、他国と地続きであるヨーロッパなどとは一線を画します。すなわち文化の異なる他国の顔色をうかがいながら渡り合うのではなく、日本国内で調整力を発揮するだけでうまくやってこられたわけです。

極論すれば、外国人と外交面で折り合いを付けるセンスを磨かなくても、国内でのコミュニケーション能力さえ万全なら安泰だった。四方を囲む海は、この国を守る防波堤でもあり、外へと向かいにくくさせる障害壁でもあったのでしょう。そんな背景があるからこそ、日本人は中学・高校で英語を6年学んでも日常会話レベルにすら到達しにくいのかもしれません。

近年、かの国から物騒なミサイルが飛んでくることはありますが、今のところ日本国内には落ちないよう配慮されています。領土問題が有史以来デフォルトの国から見れば、これは平和ボケにしか見えないのではないでしょうか。

中庸の精神で、時に「ずる賢く」

歴史を振り返ってみれば、日本人にとっては民主主義も勝ち取って獲得したものではなく、「お上」からお下げ渡しの形で与えられたものでした。

今日の日本の企業文化を見ても、本来なら経営陣とは対立構図であるべき組合が、比較的円満にやり繰りされているあたりにも、こうした精神性が感じられます。経営陣は社員のクビをむやみに切ることをせず、組合側も莫大な賃上げを要求することはまずありません。性善説を支持する者同士、うまい具合に落としどころを共有してきたのです。

そんなわが国に空前絶後の不況が襲います。万策尽きた状況で白羽の矢を立てられたのが、日本教とは一切無縁のゴーン氏でした。そのゴーン氏が派遣切りなどのセンシティブなミッションを短時間でバッサリやってのけたのは周知の通りです。

うがった見方をすれば、今回の問題は「同胞のクビを切って浮いたお金が、ゴーン氏の懐に入るのを黙って見過ごしてきたお人好し経営陣の失敗」に過ぎないのです。

もちろん、だからといっていきなり「人を見たら泥棒と思え」などと「性悪説」に舵を切るべきだとはいいません。「性善説か性悪説か」と二元論を主張しても無意味です。それぞれ一長一短なのですから。

ただ、言葉は悪いかもしれませんが、日本人はもう少し「ずる賢く」なるべきではないかと思います。つまり、「時には性善説で、時には性悪説で」という一元論を目指すのです。白黒はっきりさせたがるのが欧米風だとしたら、中庸の精神を発揮し上手にバランスを取る。

落語には、そんな生き方が活写されています。昔の日本人はそういう具合にうまく乗り切ってきました。