深い嫉妬心をうまく利用

三島の親友に増村保造という大映の映画監督がいて、彼は当時にしては大男でした。当然、三島は彼に嫉妬していたはずなんですが、自分の小説を彼に原作として差し出して、「自分は嫉妬なんかしていないよ」というポーズをとっていた時期もありました。ただ、三島はその深い嫉妬心をうまく利用して文学にぶつけることができたので、現代にも残る名作が生まれたんです。

三島は躁鬱気味だったそうですが、強い嫉妬は鬱につながることもあります。嫉妬する人というのは、1つの価値観にとらわれていることが多いですね。たとえば、学歴がすべてだと思っている人は、頭がいいか悪いかで人間は決まると思ってしまっている。

価値観のベクトルを多様にできると、わりと嫉妬しないで済むし人間の幅が広がるわけです。この点では負けているけれど別の点では勝っていると思えますから。それができない視野狭窄な人は、相手を攻撃するなど、自分の長所が見えなくなっていく「嫉妬の悲劇」が起こりやすいのです。

多くの欲望で事業活動に専心

PHP研究所によると、記録上で松下幸之助氏がこの言葉を発したのは、1948年に開かれた講演会が初出。

実業家。現パナソニック創業者 松下幸之助氏(AFLO=写真)

「欲望は天与のものであり、無暗に抑えつけたりなくそうとしたりすることは自然に反することで、結果として私たちの幸福にはつながらない。そもそも欲望はエンジンのようなもので、これなくして人類の発展はなしえなかったのではないだろうか。しかし、欲望のおもむくままに考え、行動することもまた、私たちの繁栄、平和、幸福を妨げることになる。この一面があればこそ、多くの宗教、思想では欲望をなくすこと、あるいは無欲を尊しとしがちだと考えられる。松下は、欲望のもっているこうした二面性に注目し、その調和をはかるべきとして、欲望を尊重し適度に生かすことを提案した」(PHP研究所担当者)

欲望をある程度満たし生かしつつ、抑えねばならないときは抑える。こうした生き方を嫉妬心に当てはめたとき、「狐色にほどよく妬く」という表現になったとされる。

松下氏自身も多くの欲望があればこそ、事業活動に専心していた一面がある一方、仏教の教えは「無欲」である。そこに調和、バランスという自分なりの考え方を持つようになったと、推測されている。

田中角栄
第64、65代内閣総理大臣
1918~93年。自民党最大派閥の田中派(木曜クラブ)を率いて権勢をほしいままにした。著書『日本列島改造論』がベストセラーとなった72年、総理大臣に就任。76年にロッキード事件で逮捕された。
 

三島由紀夫
作家
1925~70年。東京都生まれ。東京大学卒業。代表作に『潮騒』『金閣寺』など。ノーベル文学賞候補にもなった。晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊。自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)でクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺。
 

松下幸之助
実業家。現パナソニック創業者
1894~89年。和歌山県生まれ。パナソニックを一代で築き上げた。異名は「経営の神様」。PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出したほか、松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。
 
(構成=万亀すぱえ 写真=AFLO、時事通信フォト)
【関連記事】
橋下徹「なぜ小泉さんの言い方は批判されるか」
フランス人が日本人の謙虚さに心酔する理由
働き方改革は適用外「課長だけぶっ壊れる」問題
人生に効率主義で挑む「意識高い系」の残念人生
相手の信用度を一瞬で測れる"4つのポイント"