パパを追い抜いてやろう
具体的に言うとこうです。男の子はあるとき、自分のものだと思っていたママが実際はパパのものだということに気付かされる。ところがパパは絶対的な存在で、とてもかなわない。そこで何を思うかというと、とりあえず負けを認めて、いつかはパパを追い抜いてやろうと勉強したり体力を鍛えたりして頑張るんです。
それがフロイトの考える子どもの成長物語。父親への劣等感をパワーに変える、ジェラシー型の嫉妬というわけです。
ところが、フロイトの晩年ごろから、子どもの精神分析を専門とするクラインは、もっと原始的な嫉妬があると唱えました。エディプス期よりもっと前の乳児期には、別のタイプの嫉妬があると想定しました。
たとえば母親がおっぱいを飲ませてくれたとき、普通は感謝するはずですね。しかし、小さな赤ん坊は、「母親にはおっぱいがあるのになぜ自分にはないんだ」と悔しがって、それにかみついてしまう。母子関係がうまくいっていないと、そのレベルから成長できないというわけです。
相手が自分より上だと感じたときに、フロイトの理論ではいったん負けを認めていつかは追い抜いてやろうというプラスのパワーにするわけですが、クラインの仮説では、攻撃したり引きずり降ろそうとしたりするマイナスの心理になるということですね。それをクラインは「エンヴィ型の嫉妬」と呼びました。当たり前ですが、嫉妬をプラスのパワーにできた人が成功者になれるわけで、相手を引きずり降ろすほうに労力を使う人は何も成長しないわけです。
クライン以降の精神分析の考え方では、ジェラシー型になるかエンヴィ型になるかは母親の愛情次第。つまり、母親からたっぷり愛情をかけてもらった子は、人の足を引っ張るより努力して相手に勝ってやろうというタイプの人になる、という考え方を精神分析ではするのです。
その説が正しいかはわかりませんが、マザコンと言われているビートたけしさんや田中角栄さんのような人は、負けたときに「悔しいから頑張ろう」という方向に昇華できているなと思います。
ともかく、自分が満たされていないと思っている人々は、どうせ勝てないんだったら引きずり降ろしてやろうという心理になりがち。だから、韓国で政権交代が起こるときに必ず引きずり降ろし型になるのは、国全体が経済的に満たされていないことも背景にあるかもしれないし、アメリカの白人貧困層が犯罪を起こすのもその理屈なのだと思います。日本でも、著名人がちょっとミスをしたらぼろくそに叩くようなワイドショー文化になったのは、やっぱり景気が悪くなったからだと思います。