信長の草履を温めた逸話を筆頭に、秀吉には「人たらし」エピソードが多い。国際日本文化研究センター准教授の呉座勇一さんは「実際にそのような気質を持っていたことを示す証拠はない。むしろ、戦国時代でも珍しいほどの残虐性を持つ武将だった」という――(第2回)

※本稿は、呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

なぜ秀吉は江戸庶民の憧れになったのか

豊臣秀吉は、貧しく卑しい出自ながら織田信長の家臣として急速に出世し、信長死後は主家である織田家を乗り越え、最終的には天下人となった。このような史上類を見ない大成功の要因として、秀吉が人心を掌握する巧みな術を持っていたことが挙げられてきた。

秀吉が「人たらし」として広く認識されるようになった背景には、江戸時代の物語や芝居がある。特に、『甫庵太閤記』や『絵本太閤記』といった作品は、秀吉の人物像を形作る上で決定的な役割を果たした。

『甫庵太閤記』は、江戸時代初期の儒医である小瀬甫庵によって著された秀吉の伝記である。この作品は、秀吉の生涯を物語風に描き、その知略や人間性、立身出世の過程を強調する内容となっている。

同書では、秀吉の出自や若き日の苦労、戦国の世を生き抜く知恵と機転、そして天下統一への道のりが脚色を交えて語られた。同書は江戸時代初期の出版文化の発展にも支えられ、秀吉の事績が庶民に広まるきっかけとなった。

絵本太閤記
絵本太閤記(写真=Kyu3a/ CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

「信長の草履を温めた」逸話の初出

秀吉の「人たらし」神話を決定づけたのは、秀吉の死から200年後に刊行された『絵本太閤記』である。同書は、秀吉の生涯を描いた先行作品を基に、武内確斎が文章を書き、岡田玉山おかだぎょくざんが挿絵を担当した。寛政9年(1797)に刊行された当初は秀吉の若き日のみを描いていたが(初編)、これが大人気となったため、その後も続編が次々と刊行され、全7編84冊にまで膨れ上がった。挿絵付きの分かりやすさも手伝って、『絵本太閤記』は秀吉のイメージを爆発的に普及させたのである。

この『絵本太閤記』は、秀吉の立身出世の過程を伝えるにあたって、彼の人間味あふれるエピソードを数多く紹介している。特に信長の草履を温めた逸話は、『絵本太閤記』によって広く知られるようになった。

周知のように、この話は、寒い夜に信長の草履を懐で温めてから差し出し、その心遣いが信長に認められたというもので、気配り上手で人の心をつかむことに長けていたという秀吉の「人たらし」を象徴するエピソードとして語り継がれている。