「キネ旬は儲かんない」翻弄されてきた歴史

高校時代の1966年に読者になり、1978年にキネマ旬報社へ入社。2013年まで編集者・取締役の立場で同社に携わってきた掛尾良夫さんは、人生の半分をキネマ旬報社に捧げたキネ旬の生き字引的存在だ。

実は私も2013年まで同社に在籍していたので、掛尾さんは大先輩でもある。その思いや貢献度は足元にも及ばないが、自分にもキネマ旬報社には一言では言えないさまざまな感情がある。

というのも同社は、経営者たちの都合で従業員たちが振り回され続けてきた苦い歴史があるからだ。

「『キネ旬は儲かんないよ』って言ったのね。親会社のギャガ・クロスメディア・マーケティングを上場しようとしたのだけど、子会社のキネ旬は重荷となって足を引っ張ってしまう」

苦笑いしながら掛尾さんが放ったこの言葉は、2007年にキネマ旬報社の株主となったベンチャーキャピタルに向けたものだ。

1970年代には超大物総会屋の上森子鐵(かみもり・してつ)氏が社長に就任。上森氏の死後は、西友グループの出版社を皮切りに、角川書店、ギャガ・コミュニケーションズ、ベンチャーキャピタルと、規模もジャンルも異なる企業の傘下になった(現在は、中央映画貿易グループの傘下)。そして社員たちは経営陣が変わる度、その方針に翻弄ほんろうされた。

『冬ソナ』ブームで“ヨン様”のかつらを販売

「出版や映像業界にうとい株主だと、『キネ旬が蓄積してきた映画データをもっと活用しろ』とか『新しいジャンルを開拓しろ』とか言う。つまり、古くからいる我々はキネ旬のリソースを使い切っていないと指摘するんです。キネ旬に過大な可能性を期待して、もっと儲かるはずだと責めたてられたわけですが、引き分けにはできても、大きな利益をあげるには限界があった。

株主からは試合放棄しているように聞こえるかもしれないけど、キネ旬は“キネ旬らしくあれ”という固定観念を読者、業界から持たれ、そこから逃れられず、結果儲かりそうな事業もできない。『冬のソナタ』がブームになったときはペ・ヨンジュンのかつらを売ってかなりヒットしたけど、冒険できてもそれくらい。

『映画プロデューサー・クリエイター育成講座』(※1)とか『映画検定』(※2)とか、“キネ旬らしさ”があるものだと一定の利益をあげられる。しかし、キネマ旬報社が、他の出版社ならベストセラーになるような、例えば星占いの本を出したって絶対に売れない。

(※1)セミナー事業
(※2)キネマ旬報社が2006年から行っている、映画の歴史や作品などの知識をはかる検定事業

その一方で、キネ旬のスポンサーになることに関心を持つ人はいつの時代にもいました。

“世界最古の映画雑誌の経営者”って肩書には文化的な香りがあるし、キネマ旬報社って名前には格調高いイメージもある。それに引き寄せられるんでしょうね。名前は明かせないけど、ものすごく売名欲の強い起業家とか、良からぬ商売で身を立てた人とかが名乗りあげてきたことも一度じゃなかったな」