雑誌よりも「SNSの口コミ」がヒットを左右する時代

古巣への辛口な意見を口にする掛尾さんだが、著書の中ではその歴史をじっくりと、そして愛情深く語っている。

1919年、当時のエリート高校生たちによって創刊されたキネマ旬報の偉業はたくさんあるが、それまで存在しなかった「映画批評」という概念や定義、また職業をも生み出したことは、もっと知られてもいいはず。「キネ旬」がなければ、淀川長治も生まれなかったのだ。

しかしそんな映画評論も、SNSの台頭で岐路に立たされている。今や映画のプロのお墨付きより、名もなき人々の口コミが興行収入を左右するようになったからだ。

「当初は異端と見られたおすぎが映画評論家としてブレイクし、映画ファンから注目されるようになったのは、映画会社に忖度そんたくしない、歯に衣着せぬ、忌憚のない毒舌が支持されたからだった。そしておすぎが宣伝部も無視できない存在になったのは、活字や言葉の影響力があったから。しかし、今はそもそも活字の評論を読む人が圧倒的に少なくなってきている。だから映画の宣伝部は評論家がなにを書こうが、その影響にほとんど注意を払わなくなってしまった」

「ツウ向け」と「万人受け」の両軸でやっていけばいい

活字離れに加え、読者や業界がイメージする「“キネ旬らしくあること”がキネ旬の可能性を狭めている」と語る掛尾さんに、それでも100年存続できた理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「『キネ旬』を続けなくちゃいけないっていう人がやっぱりいるんですよね。だからこそ看板商品である『キネマ旬報』は今のまま、“らしさ”をとことん突き詰めていけば良いと思う。それと合わせて、今もやっているけど、メジャーのエンタテインメント大作映画を扱ったムックや書籍も出して、2軸体制でやっていくのが手堅いやり方なんでしょうね」