根っこには00年のノーベル賞、白川英樹氏の発見があった

エリーパワーに代表されるリチウムイオン電池は、日本人の手によって商品化への道筋がつけられた。発明したのは、旭化成イーマテリアルズ電池材料事業開発室長であり、旭化成フェローも務める吉野彰だ。

吉田博一●エリーパワー社長。61年慶應義塾大学法学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)入行。ロンドン駐在、96年副頭取を経て97年住銀リース(現三井住友ファイナンス&リース)社長に。慶應義塾大学政策メディア研究科教授などを経て、2006年から現職。

吉野は1981年から研究に着手し、4年後の85年に、今日につながる“原型”を完成させるが、その根っこに電子材料に使える機能性プラスチックの研究があった。典型的な材料がポリアセチレンである。これは「電気が流れる」プラスチックの特性を持ち、00年のノーベル化学賞を受賞した白川英樹によって発見されたことはよく知られる。

白川の発見に後押しされ、機能性プラスチックの材料研究を始めようというのが主目的で、初めのうち電池を開発したいという発想は微塵もなかった。もともと旭化成は、繊維・石油化学を母体にスタートした会社で、プラスチックは事業の柱になりえても、電池は「ビジネスの土俵から外れた」製品といってよかった。

ただ吉野の頭には、充放電が可能な新型二次電池の開発が難航している事実が、ぼんやりではあるが片隅にあった。一回使ったらそのまま捨ててしまうアルカリ電池のような一次電池に対し、使い切った後で充電して再利用するリチウムイオン電池のような二次電池は、電機メーカー各社が開発に挑んでいたものの、小型で軽量な新製品の開発がままならず、八方塞がりの状態に追い込まれていた。

<ポリアセチレンは、電子を出し入れできるおもしろい特徴がある。電子が動くだけなら半導体の性質しか持たないが、これは電子とイオンが一緒に動くので二次電池になりうる可能性がある>

リチウムイオン電池につながる研究がスタート

その頃、新型二次電池の商品化を妨げていた最大のネックは、正極と負極と2つあるうち、負極にこれぞという材料が見つからなかったことだった。それ以前から金属リチウムを負極に用いた一次電池があり、これを二次電池に応用したらどうかという研究は続けられていたが、金属リチウムの化学的な反応度が高く、発火事故に対する安全性を維持できずにことごとく失敗に終わっていた。

そこで吉野の頭にひらめいたのが、ポリアセチレンを負極材料に使うアイデアであった。この物質が高い起電力を持っていること、水や空気の影響をあまり受けずに扱いやすく、安定している点に着目したのだ。「ひょっとすると、金属リチウムに欠ける安全性という重い課題をクリアできるかもしれない」という期待のもと、今日のリチウムイオン電池につながる長い道のりの研究がスタートした。