この世にユートピアなどない

戦後日本の多数派が選んだのは、回答①であった。しかし正社員の拡大には限界があったし、その残余となった非正規労働者との格差も生じた。若者や女性や大学院修了者から見れば、非合理としか映らない慣行も多数あった。

それでは限界があるとして、ではどういう改革の方向性をとるべきか。もし人々が、改革の方向性として回答②を選ぶなら、ある種の正義は実現する。しかし格差は別のかたちで拡大し、治安悪化などの問題もつきまとう。

回答③を選ぶなら、別の正義が実現するけれども、税や保険料の負担増大などは避けがたい。くりかえし述べてきたように、社会の合意は構造的なものであって、プラス面だけをつまみ食いすることはできないのだ。

この世にユートピアがない以上、何らかのマイナス面を人々が引き受けることに同意しなければ、改革は実現しない。だからこそ、あらゆる改革の方向性は、社会の合意によって決めるしかない。

いったん方向性が決まれば、学者はその方向性に沿った政策パッケージを示すことができる。政治家はその政策の実現にむけて努力し、政府はその具体化を行なうことができる。だが方向性そのものは、社会の人々が決めるしかないのだ。

あなた自身の結論

私自身は、非正規労働者であっても地域社会のサポートが得られた高度成長期以前ならばともかく、現代日本では回答③の方向をめざすべきだと思う。しかし日本社会の人々が、現在でも回答①が正義だと考えているなら、学者がその方向とは異なる政策を提案したとしても、1963年の経済審議会の答申がそうであったように、絵に描いた餅にしかならない。

小熊 英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)

また人々が回答②が正義だと考えているならば、別の政策パッケージが書かれなければならないだろう。くりかえしになるが、この問題は結局のところ、日本社会の人々がどの方向を選ぶかにかかっている。

本書は、他国および日本の検証を通じて、社会のさまざまな可能性を提示してきた。学者は事実や歴史を検証し、可能な選択肢を示して、議論を提起することはできる。しかし最終的な選択は、社会の人々自身にしか下せないのだ。

あなたも、この社会の一員である。本書を読んだうえで、上記のシングルマザーの問いにどう答えるか、考えていただきたい。そしてそれを、自分だけにとどめるのではなく、周囲の人と話しあってみてほしい。その過程を通じて、あなた自身にとっての、本書の結論を作っていっていただきたい。

※1 「高プロ導入 企業も『NO』」東京新聞2019年5月22日朝刊。
※2 フランスやドイツではパートなど雇用形態による差別は原則として認められていないが、派遣労働者はその企業での待遇になるため、福利厚生や利益配当、労働条件、協約賃金の適用などで格差が生まれている。Washington CORE L.L.C.『平成27年度産業経済研究委託事業 雇用システム改革及び少子化対策に関する海外調査 雇用システム編』(2019年6月2日アクセス)24、38-39、48頁。
※3 このエピソードは、金子良事・龍井葉二「年功給か職務給か?」『労働情報』2017年4月号、27頁で紹介されたものである。
※4 「賃金の哲学」や「納得」という問題は、孫田良平がNPO法人企業年金・賃金研究センター編『賃金の本質と人事革新』三修社、2007年で重点的に論じた問題である。

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