企業は現状維持を望む
ここで、1963年の経済審議会が出した一連の答申が、実現しなかった経緯を考えてみよう。これが実現しなかった一因は、企業が経営権の維持にこだわり、透明性や横断的基準の導入を嫌ったことだった。透明性や横断的基準を導入しない代わりに、長期雇用と年功賃金で企業内労組と妥協したのが、その後の日本的経営だったのである。
企業が透明性の向上を嫌うがために、改革が進まない事例は、2019年度から導入された「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」にもみられる。これは、アメリカのエグゼンプションを参考に、残業代の適用外の働き方を作ろうとしたものだ。
だが厚生労働省は、2019年4月末時点の「高プロ」適用者が、全国で1名だったと発表した。これを報じた新聞記事によると、労組の反対があっただけでなく、企業もこの制度を適用したがらなかった。その理由は、高プロを導入した企業には過労防止策の実施状況を報告する義務があり、労働基準監督署の監督が強まるからだったという(※1)。
つまり日本企業は、透明性を高めて高プロを導入するよりも、不透明な状態を維持して現状を続ける方を望んだのだ。この制度そのものの評価はさておき、透明性を高めることが、あらゆる改革と不可分であることを示す一例といえよう。
19世紀の「野蛮な自由労働市場」に近づく傾向
こうした状況にたいし、労基署の監督や透明性の向上を課さずに、高プロを企業が使いやすい制度にすればよいではないか、という意見もあろう。しかしそんなつまみ食いの改革は、19世紀の「野蛮な自由労働市場」に回帰しようとするようなもので、労働者が合意するわけがない。
20世紀の諸運動で達成された成果がしだいに失われ、19世紀の「野蛮な自由労働市場」に近づいている傾向は、世界的にみられる。第3章で述べたように、労働運動が実現してきた協約賃金や、同一労働同一賃金による「職務の平等」なども、適用範囲が狭められてきているのが現実だ。どこの国でも近年は雇用が不安定化し、その社会ごとの「正規」とは異なる働き方が増えている(※2)。
日本でも、1990年代以降の「成果主義」の導入には、戦前の職工に適用されていた出来高給の復活といいうるものさえある。とはいえ日本の場合、19世紀に回帰しても、コア部分に長期雇用と年功賃金が限定された世界に戻るだけである。
これはいわば、日本型雇用の延命措置にすぎず、筆者としては賛成できない。こうした小手先の措置は、労働者の士気低下を招くだけでなく、短期的な賃金コスト削減以外の改革にはなりえないだろう。
透明性と公開性の向上は、どのような改革の方向性をとるにしろ、必須である。おそらくこのことには、多くの人も賛成するだろう。