長谷部教授によれば、憲法学者が憲法以外のことを語るのは、憲法学者が「知的指導者」だからである。他方、憲法学者ではない者が憲法について語るのは、憲法学者に「嫉妬」しているからである。

この徹底した憲法学者絶対主義を肯定するために、長谷部教授は、驚くべき主張をする。憲法学者だけがなぜ「知的指導者」なのかと言えば、それは憲法学者だけが「良識」を持っているからだというのである。

ガラパゴスという言葉では足りない

たとえば憲法9条2項の「戦力」禁止規定で、自衛隊の保持は認められないのか、と疑問に感じる時が、「法の解釈が求められる典型的な場面」、つまり専門家としての憲法学者の専門性が問われる場面だ、と長谷部教授は主張する。そこで憲法学者は何をするのか? 「良識」を働かせるのだという。日本が攻撃されても政府が何もしないのは「非常識なこと」である。「あまりにも良識に反します」。そこで憲法9条2項にかかわらず、自衛隊は合憲になるのだという(注10)

篠田英朗『憲法学の病』(新潮新書)

ということは、憲法学者ではない普通の人々が誰でも「良識」を働かせて、同じ結論に至るということなのか、と思うと、そうではない。なぜなら「良識」にもとづいた「法の解釈」ができるのは、長谷部教授のような憲法学者だけだというのだから。

なぜ憲法学者だけが「良識」を知っているのか? と聞くのは、野暮やぼである。憲法学者だけが「良識」を持っているという確信こそが、「良識」そのものなのであり、そのように信じない者は、つまり「良識」がない者なのである。

日本の憲法学は、まさに世界で唯一の、他に一切類例のない、ものすごく特別なものである。あるいは「ガラパゴス」などという言葉では、まだ足りないかもしれない(注11)

(注1)『朝日新聞』2015年11月29日朝刊、3面。
(注2)長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、142、173~174頁。
(注3)長谷部恭男『法とは何か──法思想史入門』(増補新版)(河出書房新社、2015年)、101頁。
(注4)長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』、162、163、173頁。
(注5)長谷部『憲法と平和を問いなおす』、157頁。
(注6)「国内的類推」の陥穽については、篠田英朗「『国際法学の国内モデル思考』批判の射程:その可能性と限界」中川淳司・寺谷広司(編)『大沼保昭先生記念論文集:国際法学の地平──歴史、理論、実証』(東信堂、2008年)所収、などを参照。
(注7)長谷部『憲法と平和を問いなおす』、162頁。
(注8)長谷部恭男『憲法の良識──「国のかたち」を壊さない仕組み』(朝日新書、2018年)、25頁。
(注9)長谷部『憲法の良識』、198~199頁。
(注10)同上、35頁。
(注11)ところで私が『ほんとうの憲法』を公刊し、9条1項の「戦争(war)」放棄を国際法に沿って解釈し、9条2項の「戦力(war potential)」不保持や「交戦権」否認も国際法に沿って整合性のある形で解釈すべきだ、と主張したのは、2017年7月のことであった。なぜか長谷部教授は、その後、「war potential」といった概念や、国際法を参照した憲法9条解釈を強調している。2017年10月のウェブサイト記事において、長谷部教授は、それまで見られなかった9条解釈を披露した。「戦力ということばは、いろいろに理解できることばである。歴代の政府は、このことばを『戦争遂行能力』として理解してきた。war potentialという条文の英訳(総司令部の用意した草案でも同じ)に対応する理解である。9条1項は、明示的に『戦争』と『武力の行使』を区別している。『戦争遂行能力』は『戦争』を遂行する能力であり、『武力の行使』を行う能力のすべてをおおうわけではない。そして、自衛隊に戦争を遂行する能力はない。あるのは、日本が直接に攻撃されたとき、必要最小限の範囲内でそれに対処するため、武力を行使する能力だけで、それは『戦力』ではない、というわけである」。長谷部恭男「その10 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2017年10月23日)。しかし、長谷部教授の解説にもかかわらず、日本政府が「war potential」という概念を参照して、自らの9条2項解釈を説明した記録はない。長谷部教授は、さらに2019年1月刊の岩波文庫『日本国憲法』に寄せた「解説」において、次のように述べた。「『戦力(war potential)』の保持を禁ずる二項前段も、『決闘』としての戦争を遂行する能力の保持を禁ずるものと理解するのが素直である……。一項と二項を分断した上で『戦力』『交戦権』など個別の概念に分解して解釈する手法は、条文全体の趣旨を分かりにくくする」(長谷部恭男「解説」『日本国憲法』[岩波文庫、2019年]所収、171頁)。2017年以前の長谷部教授の言説に、このように国際法を強調しながら「war potential」概念を参照するようなものはなかった。新しい長谷部教授による国際法を参照した自衛権合憲論の議論は、もちろん私としては歓迎だ(もっとも国連憲章だけは絶対に参照しないのは、いただけないが)。ただし同時に、果たして長谷部教授は、それにもかかわらず、集団的自衛権違憲論を維持できるのか、疑問に感じる。

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