憲法論議を歪めた「試験に出る憲法学」
2015年安保法制の喧噪は、結果的に、2017年選挙をめぐる民進党の分裂を用意した。集団的自衛権は違憲だ、と主張する憲法学者たちは、多くの野党議員たちに一瞬の高揚感を与えた。だが憲法学者などの権威を信じて、自分たちの政策の正統性を確信したのは、浅はかな火遊びでしかなかった。
公務員試験や司法試験の準備をしているだけなら、「迷ったら芦部説(*1)をとっておけ」、と指導する予備校講師にしたがえばいいのだろう。試験に通るという目標にそって、試験委員の面々を確認すれば、それは合理的な指導だ。今までもそうだったし、これからもそうだろう。
だが政策論は、試験対策とは異なる。それどころか、実際の日本国憲法典ですら、試験対策で語られる「憲法学」とは異なる。
大多数の憲法学者が集団的自衛権は違憲だと考えていることを示したアンケートがあった。違憲とは言えないと述べた少数の憲法学者のところには、脅迫状が届き、警察の保護が入った。「大多数の憲法学者」とは、日常的にはプライバシーの権利などを研究している方々である。自衛権の専門家ではない。
自衛権は、国際法上の概念である。日本国憲法には登場しない。しかしマスコミは国際法学者の専門家の意見を求めたりはしなかった。倒閣運動に結集した憲法学者たちの「集団的自衛権は違憲だ」という声だけを報道し続けた。ニュースバリューがある面白そうな場面だ、と思ったからだろう。だがそんなその場限りの面白味が、何年も続くはずはない。
集団的自衛権が「違憲」とされたのはいつからか
拙著『集団的自衛権の思想史』で明らかにしたように、集団的自衛権が違憲だという解釈が政府見解として固まったのは、1972年である。違憲論が政府答弁で目立つようになったのは、ようやく1960年代末のことである。なぜか。ベトナム戦争の最中に、アメリカに沖縄返還を譲歩させつつ、国内的には安保闘争後の高度経済成長時代の機運に乗っていくことが政策的な方向性だったからだ。