愛知県高浜市に拠点を置くおとうふ工房いしかわは、石川伸(のぶる)社長が「自分の子どもに食べさせたい豆腐をつくろう」との想いで設立。バブル崩壊直後、価格重視のデフレ経済のなかで、国産大豆とにがりにこだわった「昔ながらの日本の豆腐」を売り出した。

現在はパンやスイーツの製造販売や飲食店経営も手掛け、年商は50億円を超える同社のこだわりについて、慶應義塾大学大学院教授、磯辺剛彦氏が解説する。

おとうふ工房いしかわ 社長 石川 伸氏●1963年、愛知県生まれ。日本大学農獣医学部食品工学科卒業。「石川豆腐店」4代目。91年、有限会社「おとうふ工房いしかわ」設立。著書に『「おとうふ工房いしかわ」年商50億のまっすぐ経営術』。

「昔の豆腐は美味しかった」

▼社会貢献

石川氏の実家は家族経営の小さな豆腐屋さんでした。「豆腐づくりは夜から大豆を水に浸し、翌朝早くから大豆を炊いて、冷たい水に手を突っ込んで作業します。豆腐屋の仕事はつらいものだと、子どもながらに感じていました」と石川氏は振り返ります。

乾燥大豆を水洗いした後に、タンク内で浸漬(しんせき)させる(写真上)。当初からこだわっていた国産大豆。現在は全量を国産でまかなう(同下)。

大学卒業後に大手食品会社で5年間勤めた後、「日本一の豆腐屋になる」という夢を抱いて家業の「石川豆腐店」を継ぎました。まだバブルの余韻が残っていた時代です。石川氏が夢見る「日本一の豆腐屋」とは、日本一多く大豆をつぶし、日本一多くの豆腐をつくることでした。そのために、当時の年商3000万円を上回る5000万円をかけて、設備を整えます。

しかし、まったく売れません。スーパーに営業しても豆腐の陳列棚は他のメーカーが押さえています。実家に戻って1年も経たないうちに、自信を失いかけていました。

そんなとき、友人の奥さんが1丁200円もする豆腐を取り寄せていることを知りました。その奥さんから「こんな豆腐をつくったらいいんじゃない?」と言われたのが、いわゆる「自然食」。国産大豆でつくってにがりで寄せた豆腐でした。その方から自然食の会社を紹介してもらい、いしかわの豆腐を扱ってくれるようお願いに行ったそうです。

「そこの社長から『大豆は国産を使っているの?』『にがりを使っているの?』と聞かれました。輸入大豆とすまし粉を使っていたことを話すと、『それでよく豆腐屋をやっているね』と叱られました。その頃、私が自分の子どもに離乳食として食べさせていた豆腐も同じもの。『よし、自分の子どもに食べさせたい豆腐をつくろう』と覚悟を決めました」(石川氏、以下同)