デザイン思考
佐賀県小城市。ラムネや炭酸水を製造する友桝(ともます)飲料は、1902年、この地で創業した老舗清涼飲料メーカーだ。
清涼飲料の市場は戦後、外資系や酒類メーカーの参入、規制緩和などを経て国内の中小メーカーは苦戦を強いられ、最盛期で80社あった佐賀のラムネ業者も、2社にまで激減した。
厳しいマーケット環境のなか、2001年、25歳の若さで社長に就任した友枡飲料の友田諭氏は積極的な新商品開発に取り組み、事業を拡大。01年当時2億円だった売り上げは、約92億円にまで成長、社員数も10人程度から約130人にまで増えた。
地方の小さなメーカーが、いかにして地域を代表する企業へと変貌を遂げたのか――。
新しいビジネスアイデアを生み出す「デザイン思考」の第一人者・佐宗邦威氏が、成功のポイントを3つの観点から解説する。
事業拡大のエンジンになった会社の「ミッション」明確化
友田さんは「土間の先には製造設備と工場がある」という3世代同居の家族経営の家庭で育ちました。友田さんが生まれた70年代には製造する瓶入りサイダーの宅配事業などで成長した友桝飲料でしたが、82年、清涼飲料へのペットボトル使用が認可されると、瓶入り飲料の宅配サービスは下火に。また、販売チャネルが駄菓子屋さんからスーパー、コンビニへと変わり、大手メーカーの力は一層増していきました。中小のラムネ業者は次々と事業を畳んでいきます。
そんな家業が苦しい状況のなかで青春を過ごした友田さんですが「正月以外は休みもせず、365日真面目に働いている昔気質の祖父や父を見て、カッコいいと思っていました。自分が家業を継ぐのだと自然に思っていました」。九州大学農学部に進んだ後、ビジネスを学ぼうと地元の薬品系の商社に就職します。2年間経験を積み、24歳で友桝飲料に入社。1年後の01年には、社長に就任しました。
しかしそこにあったのは、10人の社員で必死に働いても事業が拡大しない、という苦しい現実でした。
「もしかしたらこの会社は難破船かもしれない、補修ができるかもわからない。では、100年以上航海を続けているこの船をどうすればいいのか――」
中小企業ゆえの生き残り戦略を考える必要も感じていました。
そこで、友田さんが立ち戻ったのが、会社が存在する目的、ミッションを明確にすることでした。