佐賀・嬉野。温泉とお茶の町として古くから知られ、福岡市内から1時間強、長崎県大村市とも隣接するアクセスの良さもあり、由布院(大分)、黒川(熊本)と並んで、九州北部の温泉街として発展してきた。
大村屋は天保元(1830)年創業、嬉野で最も歴史のある老舗の温泉旅館だ。当主の北川健太氏(34歳)は25歳で事業を承継した。
当時の嬉野温泉はリーマン・ショックによる社員旅行などの団体客の減少の影響を受け、80軒以上あった旅館は33軒にまで減少。次の一手が求められるなか、北川さんは、「湯上がりを音楽と本で楽しむ宿」というコンセプトを打ち出し、宿泊システムの見直し、客室改修などの改革を実施した。
また、周りの旅館と共同で「スリッパ温泉卓球大会」「全国スナックサミット」「もみフェス」などのイベントを次々と実現させて、いまでは九州でも注目の温泉街へと変貌を遂げている。
北川氏の社長就任10年で、売上高は1.7倍、経常利益率はマイナスからプラス15%までV字回復。
それまでの事業の延長線上にはない、まったく新しいサービスや商品を生み出すための解決手法である「デザイン思考」。大村屋の事例がその成功例だと話す佐宗邦威氏が3つのポイントを解説する。
経営者の個性を出し、リブランディング
大村屋を訪れると、外観の印象は老舗旅館のイメージそのもの。驚きはありません。しかし、一歩中に足を踏み入れるとそれは覆されます。音楽好きには堪らないレコードを最高のオーディオで聴くことのできるラウンジ、「ラグジュアリーや非日常というよりも、落ち着いた居心地のよさを目指して、女性の建築家に改修をお願いした」(北川さん)という洗練されたデザインの客室。そして、美肌の湯として知られる温泉を楽しめる大浴場から上がったスペースには、「ビートルズのフリークで、60~70年代のUKロックが好き」という北川さんが揃えたレコードを楽しみながら、町の人が持ち寄った本を楽しめる「湯上り文庫」が用意され、ゆったりとしたソファでくつろぐことができる。隣には、嬉野茶を楽しめるバーカウンターも備えられています。
流れる音楽も、客室やラウンジの内装も、お茶を楽しむ肥前吉田焼の茶器も、すべてにセンスを感じさせます。それもどこか、ホッとする。そんな空間になっています。
「大村屋という家に帰ってきた、と感じてもらえる空間にしたかったんです。旅館というのは、まさしく『場』を持っている。しかも、ホテルと違って、旅館は当主の顔が見えないといけない。だから、自分らしさ、大村屋らしさを武器にするしかないんです。僕たちは常連さんと呼びますけれど、年に1度は決まって大村屋で過ごすと決めている方に、『おかえりなさい』といえる宿にしたい。共感していただける方は増えています」