試行錯誤の結果、「自分が理想とする豆腐」と「子どもたちが美味しいと言って食べてくれる豆腐」を両立した、「究極のきぬ」と「至高のもめん」が完成しました。ここでも発売当初は1日20丁ほどしか売れませんでしたが、口コミで徐々に人気が高まり、発売2年目からは毎年、前年比200%以上の売り上げが続きました。

生協とのチャネルから生まれたのが、おからを使ったお菓子「きらず揚げ」です。開発のきっかけは、生協の商品検討会での会員との雑談でした。

「たまたま生協の商品検討会でお菓子の話題になった際、あるお母さんから『最近は柔らかいお菓子ばかりになって、硬いお菓子が少なくなった』という不満を耳にしました。私は大学でおからの研究をしていましたので、おからでお菓子をつくるとマカロニのように固くなってしまうことを話しました」

すると、別のお母さんから「子どもの歯固めに使えるお菓子がなくて困っています。体にいいおからのお菓子だったら、きっと喜ばれますよ」というアドバイスを貰ったそうです。

「大豆、小麦、油、塩のすべてにこだわり、形状や塩のかけ方まで徹底的に研究し、同時に日本の伝統的な食文化を今の時代に合わせることで、新しい食品を開発できる可能性を知りました」

会社規模の拡大をいったんストップ

「きらず揚げ」は大ヒット商品になりました。当初は子ども向けでしたが、大人にも大好評。「近くに買えるお店がない」という多くの声を受け、通販業務を開始。その通販チャネルに、豆腐問屋や菓子問屋のチャネルが加わります。そして、お客様と交流できる場として、レストランと直売店を併設した「とうふや豆蔵」をオープンしました。売り上げは右肩上がりで、年商20億円を超える規模まで成長しました。

本社社屋と多彩な商品群(写真上・中)。本社屋隣の直営レストランでは豆腐、湯葉など大豆製品を使ったオリジナル惣菜が楽しめる(同下)。

その後も順調に取扱店が増え、同社はハイペースの成長期を迎えます。政府の農業政策による国産大豆の増産・価格下落を機に、大豆の全量国産化に踏み切りました。さらに、そこに健康ブームが追い風となり、同社は豆乳飲料のための設備を導入しました。

しかし、そこで思わぬ落とし穴が待ち受けていたのです。

台風や冷害によって2004年の国産大豆の卸値は前年の2倍、その翌年も1.7倍に高騰。それに加えて、原材料を調達できない事態に陥りました。

そんな状況下で、組織的な歪みが生じます。店舗の拡大や従業員の増加といった無理な背伸びが経営を圧迫。財務は火の車でした。しかし、「ここで規模を縮小したらカッコ悪い」と見栄を張り、立ち止まることをためらった。規模の拡大とともに従業員との距離が広がり、人間関係のトラブルや、お客様や仕入れ先からのクレームが増加。石川氏自身も「現場に顔を出して従業員とコミュニケーションをとることを怠った」と振り返ります。