ゴーン氏が頼ったのは秋葉原の弁護士事務所

元日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏は3月9日、65歳の誕生日を何とか娑婆で過ごすことができた。

20年前の春、東京に日産再建のための乗り込んできたゴーン氏だったが、20年後は「作業服姿」で拘置所を出て、東京・秋葉原の弁護士事務所に逃げ込んできた。私はその姿からゴーン氏の反撃へのパッションを見た。

3月6日午後8時すぎ、東京・秋葉原の事務所で弁護士との打ち合わせを終え、クルマに乗って現場を離れるゴーン氏(中央)。多数の報道陣が殺到し、現場は混乱していた(撮影=安井孝之)

秋葉原の小さな事務所で作業をしていた6日午後5時半ごろ。上空をホバリングする複数のヘリコプターの騒音が大きくなった。作業服姿に変装し、東京拘置所からスズキの軽自動車で出たゴーン氏を追っているヘリコプターであることは推測できたが、まさか事務所から100メートルも離れていないビルにゴーン氏が駆け込むとは思いもつかなかった。

事務所の近辺は秋葉原とはいえ、電気街からは離れ、メイドカフェもほとんどない下町の面影が残る神田佐久間町の一角である。神田佐久間町と隣の神田和泉町は江戸時代から何度も大火を経験し、町全体の防火意識が高まったといわれる地域で住民や商店の横の連帯感がまだ残っている。「強欲グローバル経営者」のレッテルを張られたゴーン氏のイメージとはおよそかけ離れた街である。だからこそ一介のフリー記者でも借りられる古くて小さな安い事務所があったのだ。

確かに「変装劇」は失敗に終わった

私にとって今回の「保釈劇」は信じられないほどのギャップだらけだった。グローバル経営者と作業服、軽自動車、下町の弁護士事務所での打ち合わせ……。このギャップをゴーン氏が日産にやってきた20年間を振り返り、どう理解したらいいのかを考えた。

なぜ作業服に変装したのだろうか。

ゴーン氏の弁護団の高野隆弁護士は8日付けのブログで「『変装劇』は私が計画して実行したものです」と明らかにし、「釈放後速やかにかつ安全に依頼人を『制限住居』に届ける」ために、メディアの追走を防ぐことが目的だったことを説明した。だがその計画は失敗し、「私の未熟な計画のために彼が生涯をかけて築き上げてきた名声に泥を塗る結果となってしまいました」とわびた。

確かにこの計画は失敗だった。拘置所の玄関口から出た直後はカメラマンも不意打ちを食らい戸惑ったが、すぐにヘリとオートバイが軽自動車を追いかけ、弁護士事務所に入るゴーン氏を確認した。弁護士事務所での2時間ほどの打ち合わせの間、カメラマンややじ馬は増え続けた。ゴーン氏を乗せた車が駐車場から出るのに20分以上もかかるほどの混乱が起きる。私もその中で取材し、写真を撮ったが、ピント外れのゴーン氏の目が映った写真が撮れただけだった。