なぜ「高級車で帰らせてくれ」と言わなかったのか

高野弁護士がブログでわびたように「変装劇」は「泥を塗る結果」となった。

だがむしろ私は高野弁護士の提案した計画にゴーン氏が乗ったことに驚く。108日ぶりに拘留を解かれたのに、ゴーン氏はなぜ「背広を着て、高級車で帰らせてくれ」と言わなかったのだろうか。

同じくゴーン弁護団の弘中惇一郎弁護士がメディアに語ったところによるとゴーン氏は変装を楽しんでいたという。計画は失敗に終わったが、ゴーン氏が高野弁護士事務所を離れる直前に高野氏と笑みをたたえて話している様子が見えた。

3月6日午後8時すぎ、ゴーン氏を乗せたクルマを多数の報道陣がクルマを取り囲んだ。駐車場から出るのに20分以上もかかり、警察官が駆けつけるなど、現場は混乱していた(撮影=安井孝之)

ゴーン氏は高野弁護士の提案を「メディアの追走を防ぐことができるならチャレンジしよう」とポジティブに受け止めたのだろう。だから「変装劇」が失敗に終わっても、高野氏との関係が決定的に崩れなかったのではないか。

チャレンジには100%の成功はなく、失敗がつきものだ。それを認めたうえで提案者の意見を聞く姿勢がゴーン氏にまだ残っていると考えれば、今回の「変装劇」は理解しやすくなる。

どんな策でも「乗ってみよう」と考える現実主義者

2000年、ゴーン氏が日産に来て2年目のことだ。すでに「コストカッター」という称号を得て、収益性の低い事業をバッタバッタと切っていた。そんな時、現在は慶應義塾大学特任教授の堀江英明氏(2018年3年に日産を退職)は、日産の電気自動車(EV)に使うリチウムイオン電池の開発責任者としてゴーン氏にプレゼンテーションをした。

堀江氏は「電池はパワーの源泉だ」とEV用電池開発の継続を訴えた。まだリチウムイオン電池が車載用として使えるかどうかが半信半疑のころだった。日産社内には開発継続には懐疑的な見方が多かった。28分間のプレゼンの過程で堀江氏はゴーン氏の変化を感じたという。「研究を続けろ」。ゴーン氏の結論だった。

もしもこの時、堀江氏がリチウムイオン電池開発の継続を一心に説かなかったら、今の電気自動車「リーフ」(2010年発売)はない。堀江氏は「ゴーンさんは人が何を言おうとしているのか、何を考えているのかをちゃんと受け止める人でした」と振り返る。

今回の高野弁護士と東京拘置所内での会話も同じようなものではなかったか。高野弁護士のアイデアが自分と家族の身を守る策になるならば「乗ってみよう」と考えたに違いない。グローバル経営者としてのメンツなどは二の次だったのだろう。