108日間の拘留を経て、20年前のゴーン氏に戻った

日産の西川廣人社長はゴーン氏が逮捕された昨年11月19日の記者会見で、「ゴーン氏が日産とルノーのCEOになった2005年が分岐点だった」と振り返った。ゴーン氏に権力が集中し、独断専行が目立つようになったという見立てである。東京地検特捜部や日産自動車の関係者らからもたらされる情報が正しければ、ゴーン氏はどこかで大きく変わってしまったのかもしれない。

だが少なくとも今回の変装劇をみると、ゴーン氏の行動原理は20年前とまったく変わっていないとも見える。西川氏が言うようにいったんは変わったかもしれないが、108日間の拘留を経て、再び20年前のゴーン氏に戻ったとも言えるのだ。いずれにしろ現時点のゴーン氏は、さまざまな専門家の意見を聞き、自分が受け入れられるものは受け入れるという現実的な行動をとる人物だと見るべきである。

異国の地で捕らわれ、裁判が始まっても国外に出ることは難しい。日本の裁判所でしばらく闘わなければならない。そのためには日本の現実を知り、現場で考えてくれる専門家の助けを得なければならない。「無罪請負人」と言われる弘中弁護士や高野弁護士らとの連携の意味はそこにあり、まずは彼らの意見を聞かねばならない。

日産がV字回復を成し遂げる前と同じような心境か

それは20年前に日産に来て「3か月の間に、数百の施設を訪問し、数千もの人に会いました」(『カルロス・ゴーン 経営を語る』日本経済新聞社、214ページ)という努力をしたのと同じことである。

異質な存在として異国に住み、そこで生きていくことをゴーン氏は何度も経験している。ブラジルでレバノンからの移民の子供として生まれ、幼少期から高校まではレバノンに移り、大学はフランス。ミシュラン時代は米国でも暮らした。そのたびに異国をまず理解しなければならなかった。

異国で闘うには専門家らの意見を聞き、現実的な解を探り、パッションを持って実行していくしかない。今ゴーン氏は日本という異国の司法制度の下で、刑事裁判という初めての経験を積み重ね始めた。ゴーン氏にとっては日産がV字回復を成し遂げる前と同じような心境に至っているのではなかろうか。