「発言は慎重にされることが求められる」と読売

全国紙の中で出遅れたのが読売新聞だった。それだけ論説委員の間で議論が分かれたのだと思う。朝日社説がどっち取らずの分かりにくい主張を繰り返したぐらいだ。ただ時間をかけた分だけ、読売社説はすっきりとまとまってはいる。

その12月5日付の読売社説は「皇室儀式を見つめ直す機会に」と見出しは静かだが、「皇族が公の席で、政府の決定に疑問を呈するのは異例である」と指摘したうえで、次のように秋篠宮さまにはっきりと忠告している。

「憲法は、天皇は『国政に関する権能を有しない』と定める。秋篠宮さまは来年の代替わりで、皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)になられる。重い立場を考えれば、発言は慎重にされることが求められる」
「政教分離に絡む発言は、政治的色合いが濃いと受け取られる可能性もあるだろう」

さらに「聞く耳」という発言に関しては「皇室活動の円滑な運営のため、皇族と宮内庁幹部の意思疎通は不可欠なだけに、残念な事態だ」と書くが、これはいただけない。「残念」で済ます話ではないからだ。

宮内庁、つまり安倍政権がきちんと対応してこなかったからこそ、秋篠宮さまが苦言を述べられたのだ。やはり読売という新聞社は安倍政権擁護の新聞なのだ。読売は批判すべきところをきちんと批判できない。これこそ、残念である。

「国費でつつがなく挙行を」と産経

次に産経新聞の社説(12月1日付)を見てみよう。見出しは「国費でつつがなく挙行を」だ。国費で行うべきだと明確に訴えている。他紙と違って社説を「主張」としているだけはある。

産経社説は、前例を踏襲して国費での賄いがすでに決まっていることや、政府方針に変わりはないことを論拠にこう主張する。

「即位の中核的な行事であり、国費の支出によってお支えしたい」

さらに政教分離の原則についても主張する。

「憲法の政教分離原則に触れるという懸念は当たらない。平成の大嘗祭に対して複数の訴訟があったが、政教分離に反しないとの最高裁判決が確定している」

しかしこの点に関し、朝日社説は違う。朝日社説にはこう書いてある。

「政教分離を定めた憲法と大嘗祭との関係は、平成への代替わりの際も論議になった。『知事らが公費を使って大嘗祭に参列したのは儀礼の範囲内で違憲ではない』とする最高裁判決はあるが、国が大嘗祭に関与することや費用支出の合憲性についての判断は示されていない」

産経社説は、知事らの大嘗祭参列の公費支出を問う住民訴訟の最高裁判決に基づいて論を展開しているのだろうが、厳密には朝日の社説の方が正しいのではないか。

社説はひとつの新聞で満足せずに他の新聞と読み比べることがいかに大切であるかがよく分かる事例だ。