7年前には「天皇にも定年制が必要になってくると思う」

12月1日付の朝日新聞の社説は「踏み込んだ発言をした」と書き出しながら「政治的な対立に発展しかねない極めて微妙なテーマだ」と指摘する。秋篠宮さまの発言を評価したいのか、それとも批判しようというのか。そう考えながら朝日社説を読み進んだ。

「秋篠宮さまは7年前の同じ会見でも『天皇にも定年制が必要になってくると思う』と、いまふり返って問題の本質をついた発言をしている」
「お仕着せでない肉声が発信されるのは歓迎だが、来春には皇位継承順位第1位となる立場を踏まえ、テーマや表現については慎重な対応を望みたい」
「もっとも、今回の指摘それ自体は正鵠を射たものだ」

「問題の本質をついた発言」と評価しながら「慎重な対応を望みたい」と批判する。そうかと思うと、「正鵠を射たものだ」と褒める。朝日社説は評価したいのか、批判したいのか、分からない。はっきりしてもらいたい。

見出しも「異例の発言機に考える」と逃げている。想像するに社説のテーマを論議する論説委員の会議で意見が分かれたのだろう。前述したように専門家の間でもあれだけ意見が分かれる問題だ。

だが、社説を書く場合、スタンスをはっきりさせたうえで書かないと、読者に分かりにくくなってしまう。

とにかく安倍首相が大嫌いな朝日新聞

朝日社説はどう筆を運んで結論付けるのだろうか。

「朝日新聞の社説はかねて、前回のやり方にただ従うのではなく、憲法の諸原則やこの間の社会通念の変化を踏まえてゼロから検討し、改めるべき点は改めるべきだと主張してきた」

書いている論説委員本人も「分かりにくい」と感じたのだろう。読者に朝日のスタンスを直接示し、「前例に従わずに改めよ」と主張する。

「ところが政府は突っ込んだ議論をしないまま、大嘗祭のあり方を含めて『前例踏襲』の基本方針を早々と決めてしまった。見直せばその内容がどうあれ、必ず疑問や批判が寄せられて対応に追われる。それを避けようと安直な道を選んだのだろう。憲法が掲げる価値に立ち返り、真摯な議論を重ねていくというやり方がとられなかったのは、残念というほかない」

なるほど、沙鴎一歩も「元凶は安倍首相の逃げ腰にある」と書いただけにこの指摘や主張は分かる。だが褒めるのか、けなすのか、よく分からない状態でその先に筆を進め、いきなり自社のスタンスを持ち出して安倍政権のせいにしようというのはいかがなものか。安倍首相が大嫌いな朝日新聞らしい。

結論も「誠実とは言い難いその態度は、政治への不信の石をまた一つ積み上げる」と安倍政権をたたく。