日本の悪い癖=法的な論戦で十分な備えをしないこと

安倍さんや日本政府は、国際司法裁判所に訴える意向も示している。

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僕が心配なのは、安倍さんや日本の国会議員、そして日本国民も、法的な論争では「日本が必ず勝つ」と信じ込んでいることだ。しかもその理由が「1965年の日韓請求権協定があるから」とバカの一つ覚えのように言うだけ。このような日本人の認識と態度振る舞いが、日韓関係をこじらせている大きな原因の一つにもなっていると思う。

僕も、1965年の日韓請求権協定によって、韓国人は日本企業に対してもはや請求はできないと考えるが、それはこれから述べるような複雑な論点について色々と考えた上でのことだ。1965年の日韓請求権協定によって韓国人は何も主張できないと単純に考えているわけではない。

日本の悪い癖は、法的な論戦になるときに、きちんとした備えをしないこと。最近では、クジラの調査捕鯨について、国際司法裁判所の場で必ず日本の主張が通ると高を括っていたら、なんと日本の主張は完全に排斥された。

法的な論争とはある種のケンカである。ケンカで勝つには、自分の強み、相手の弱みを知るだけでなく、「自分の弱み」「相手の強み」まで知った上で、準備をきっちりと行うことだ。自分の有利な点ばかり考える者は、ケンカに弱い。

今回の韓国大法院の判決について、日本に弱みは全くないのか、韓国に強みはないのか、ここをしっかりと検討した上で、日本の弱み、韓国の強みがあるならそれに対する備えをしなければならないのに、日本政府にも、国会議員にも、インテリたちにもそのような気配が全くない。「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済み。韓国は何の主張もできない」ということで、日本に弱みは全くない、韓国に強みは全くないと信じ込んでいる。この状態こそが危険なんだ。

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1965年の日韓請求権協定は、日本政府と韓国政府という国家間の和解。この和解に国民がどれだけ拘束されるかは、まずはその和解をやった政府が、どれだけ国民を代表しているかによって異なる。

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政府が国民を拘束できるのは、国民から代理権を与えられているからだ。これが民主国家の大原則。日本政府がやることに関して、賛否両論はあるし、むしろ腹立つことはいっぱいある。それでも日本国民が日本政府のやることを渋々了解するのは、日本政府が選挙を通じて国民を代表している政府であるという認識を持っているからだ。

では1965年当時の韓国政府はどうだったか? きちんと韓国国民を代表している政府と言えるのか。

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