返せといわれても資産は何も残っていなかった
そういうときは、たいがい社長が自宅に資産をもっているとのことだった。だが、私は自宅も賃貸で、自動車ももっていなかった。貯金もいちばん多かったときで、500万円しかなかった。
高いワインを毎日飲んでいたのではと思う人もいるかもしれないが、そういうわけでもなかった。
たぶん、必要ないものをいろいろ買っていたのだろう。ソフトやインフラの売り込みも少なくなかった。いつの間にか、社員が売り込みの営業マンを私に会わせなくなっていた。
一括ではとうてい返せないことがわかり、銀行とは返済計画をリスケジュールすることで話がついた。代わりに金利も、それまでの2%から上がって年4%になった。それが08年秋前のことだ。
そこへきてようやく、人件費を含めて経費を下げようということになった。
それまでは、どれだけ金を使ってもいいから売り上げを伸ばし続けるといっていたのに、社員を集めて、「ケチケチ大作戦」というのもやった。笑い話のようだが、今日から自分たちはケチになるというので、ほんとうにそういう名前のキャンペーンを張ったのだ。
売り上げが減りはしたが、それに見合うように経費も人件費も圧縮して、09年3月期には28億の売り上げとなった。そこから盛り返していくつもりだった。だが、そうはいかなかった。とくに私たちは新卒がターゲットだったので、マーケットのなくなり方も急だった。
10年3月期の売り上げは14億5000万円。07年から09年の2年間で3分の2になり、次の1年でその半分になった。3年間で3分の1だ。そのときの落ち方は、なだらかな下降などではなく、180度下を向いているくらい真っ逆さまの感じだった。
その間、さらに経費を圧縮して、人件費も下げ続けていた。それまではずっと右肩上がりで、社員の給料も年俸ベースで上げてきていた。