焦燥感を煽る、あのCM
熱心に筋トレに取り組む人を否定する気は毛頭ない。ただ、すべての物事には「終わり」が見えたほうがいいのではないか、と近ごろとみに思うようになっただけのことだ。私は35歳でようやく「よいカラダ」を追い求める競争から撤退することがかない、10年かけて完全に諦めの境地に至ることができた。
「デキる人ほどいくつになっても身体を鍛えている」といった言説は、ビジネス書やビジネス雑誌などで、これまでもさんざん語られてきた。また、最近は「RIZAP(ライザップ)」の人気などからも見て取れるように、たるんだ中高年が一念発起してワークアウトに取り組み、見事な体形を手に入れることがもてはやされる風潮もある。
ライザップのCMを見て、本気で焦りを覚える人も多いのではなかろうか。だからこそ会員が増加しているのだろうし、そもそも素直に焦る人(=CMを見て入会する人)が多くなければ、あそこまで大量にCMを流すことなどできない。もっとも「筋骨隆々な身体を手に入れよう」という競争から完全に降りた私は、あのCMを見ても何も感じないわけだが。
デブになった友人の“決断”に感じ入る
そんな心境なので、かつて体育会に入っていた友人がすっかりデブの中年になっている姿を見たりすると、妙に安心する。彼らは学生時代、毎日のように過酷な練習をこなし、素晴らしい肉体美を誇っていたわけだが、卒業後は残業と飲み会の日々を送り、「もう昼メシくらいしか楽しみはねぇよ!」とばかりに高カロリーのランチを食い続けた結果、2年程度でデブになる。
学生時代、178cm/75kgなんて筋肉質だった人物が数年で103kgくらいになり、「オマエ変わったなぁ!」と友人からイジられ、「ガハハハハ、部署内一のデブだぜ!」なんて豪快に笑い飛ばしているのを見ると「あぁ、こいつも“終わりの見えない競争”のひとつから降りることができたんだな。本当によかった」と、しみじみ感じ入ってしまうのだ。彼らの英断を、私は心から支持したい。