※本稿は、河合薫『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)の第3章「なぜ、女はセクハラにノー!と言えないのか?」を再編集したものです。
「権力者」に「NO」と言うのは難しい
私たちが20代だった頃、セクハラは至るところで横行し、「一度もセクハラされた経験がない」女性は極めてまれだと思います。一般企業とカタチは違えど、CAの世界も例外ではありませんでした。
社内で「お疲れ~」などと男性が女性社員の肩を揉む光景はどこでも見られましたし、「男いないのか?」「子どもの作り方知らないのか?」「早く結婚して子ども産めよ」といった、“大きなお世話”セクハラから、「夜はどうしてるの?」「どんな体位が好きなわけ?」などの“気持ちワルっ”セクハラ、さらには、お尻ぺろ~ん、おっぱいぐにゅ~といった“ジジイ、カネ取るぞ!”セクハラまで、「エロ話は誰も傷つけない」「エロ話で相手との距離感が縮まる」と妄信したコミュニケーション能力の低いおっちょこちょいオジさんたちが、お酒の力を借り暴走していました。
とりわけやっかいだったのは、自他ともに認める「権力者」です。彼らは「○○は俺と寝てくれって、札束持ってきたぞ」と自慢げに語り、「今から出てこれる?」とホテルのバーに夜中に呼び出し、部屋の鍵をチラつかせました。「夜中に2人きりで会うような勘違いさせる行動は慎むべき」と第三者は言います。でも、男性が上司に「今から来い!」と深夜に呼ばれて「NO」と言えないのと同じように、女性にだってムリ。父親ほどの年齢の、偉い人に「NO」とは言えません。
NOと言わない選択をした自分が存在した
いいえ違います。「NOと言えなかった」のではなく、「NOと言わなかった」。そうです。NOと言わない選択をした自分が、そこに存在したのです。
女性たちは言います。「自分たちが若いときに男性のセクハラを許してきてしまったことで、今の若い人たちが嫌な思いをしている。申し訳なかった」と。でも、これってキレイ事だと思うのです。
ハニートラップをかける気もなければ、色仕掛けする気もさらさらない。それでも「ナニか」を期待した自分がいたじゃないかと。ちょっとだけズルい自分が「NOと言わない」選択をした。そこには「期待させるだけのモノ」を持つオジさんへの敬意も存在しました。