男性でも同じだと思うのです。夜中に呼び出されたり、休日に付き合わされたり。今だったらパワハラになりかねないオーダーを容認する。「自分は目をかけてもらっている」「自分は気に入られている」といった充足感と、「イヤだな」と思う気持ちが交錯する。人の感情はとても複雑です。1人の人間が持ついくつもの表情に翻弄される。私たちは常に感情の交差点で右往左往します。ここに「性別はない」と思うのです。

当時は人間関係にも余裕のある時代でした。セクハラオジさんのいい面を知る機会もたくさんあった。だからこそ、女性たちはおっちょこちょいオジさんの愚行を許容し、それをうまくかわすのがオトナの女と思い込んでいたのです。

「何を話していいかわからない」

セクハラ問題に悩んでいる女性は想像以上に多く存在します。そのほとんどは「飲み会での性的な発言、おさわり」です。同じように悩む男性もいて、私自身、同世代の女性が男性部下に性的な発言をしているのを何度か目撃し、「ああ、やだやだ。自分もあんな“セクハラオバさん”にならないように気をつけなきゃ」と自戒しています。

河合薫『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)

それでもやはり被害者は「女性」が圧倒的多数(だからといって無視していいと言っているわけじゃないのであしからず)。そして、女性たちの話や私の個人的な経験から感じるのは「オジさんたちのコミュニケーション能力」の低さです。

職場では、パワハラ、セクハラ、モラハラ、……ハラハラだらけで部下とのコミュニケーションにびびっているオジさんが、自分のコンフォートゾーンである「飲み屋」に足を踏み入れた途端、職場でクローズしていたコミュニケーションの扉を全開する。ところが、何を話していいのかわからない。そこで、つい「彼氏はいるのか?」だの、下品なネタで笑いを取ろうとしてしまったり、かわいい女性部下が素直に自分の話を聞いてくれると、「ん? ひょっとして……」などと“勘違い”してしまったりするのです。