私は、くよくよする時間は、基本的に無駄だと思っています。むしろ、ぱっぱっと決めて行動に移してから、そこで考えればよいと思うほうです。でも幼い娘の“くよくよ”に対して、私が「こうしなさい」と言って決めさせることはできませんでした。娘の“くよくよ”に付き合うのには忍耐が必要でしたから、私もくよくよとか、いらいらとか、少しは悩んでいたのに違いありません。

この「紙に書いて決める」というやり方も、困った挙げ句に編み出した方法でしたが、結果的にこれは、選択肢を用意して検討し、判断して自分で決めるというプロセスを踏むよい訓練になったと思います。書き出すことは、「グチ」を「自立」へと昇華させる頼もしいツールになったのです。

ツール2 “かわいそうパーティー”で思い切り泣いてみる

私はもともと仕事が大好きだったので、結婚しても仕事は続けていました。ところが、出産して、まだ首のすわらない娘が、私の腕のなかで安心し切った表情ですやすや眠るのを眺めているうちに、突然ある思いが湧き上がってきたのです。

「この赤ちゃんを育てること以上に、私にとって大事な仕事があるだろうか?」

そうして、私は仕事を辞め、“専業主婦に転職”したのです。30歳のことでした。

子育て真っ最中のある日、弁護士になった幼馴染がうちに遊びに来ました。彼女はずっと仕事を続けており、スーツ姿がよく似合い、はつらつとして、充実したキャリアを積んでいるのがよくわかりました。彼女が帰ってから、私は彼女がまぶしくて、うらやましくて、わけもなく後悔の気持ちが湧き上がってきたのです。ああ、“くよくよ”が始まる……。

その時、“かわいそうパーティー”をやりました。自分自身を憐れみ慰めるために、10分間だけ泣いてわめいてグチを言うことを“かわいそうパーティー”と名づけていました。人生には、どうすることもできない不可抗力の出来事や我慢する時間というものがあります。それをやり過ごすためのツールが“かわいそうパーティー”です。

不思議なことに、このパーティーの後は、自分が置かれている環境のありがたみを思い出すことができるのです。“かわいそうパーティー”は、心を浄化するツールとも言えます。