※本稿は、山田泰司『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』(日経BP)の第4章「マイカーと便器」を再編集したものです。
便器がむき出しになった部屋に住む
若い友人の一人、シューが上海に借りている家を初めて訪ねたときの衝撃は忘れられない。
案内されて部屋に足を踏み入れると、一つしかない窓に近い最も日当たりのいい場所に、洋式の便器がむき出しになって置かれているのが目に飛び込んできたからだ。
ここはバスルームで、居間や寝室は別にあるのかと思ったが、便器の右隣には大きな液晶モニターをのせた机、左隣には木製のベッドがある。「狭くてびっくりしたでしょう? 部屋はこの一つしかないんです。500元(8500円)の予算だと選択肢がなくて。上海は家賃が高いから。故郷にある実家は大きいんですけどね」と恥ずかしそうにシューは言うが、部屋の広さは10畳ほどはある。
この1部屋に3歳の子供と親子3人で暮らしているというから手狭ではあろうが、広さだけならこれよりも小さな部屋に暮らす人はいくらでもいる。しかし、部屋の中に便器がそのままポンと置かれている部屋は初めて見た。シューは、使う際の目隠しになるよう、天井からビニールシートを吊るしていたが、窓からのすきま風でさえシートが動いているのを見ると、気休め程度にしかならないのは一目瞭然だった。かつて新聞で見たことのある、日本の刑務所で死刑囚が過ごす独居房が頭に浮かんだ。
シューの家の大家はこの土地で農業をする上海の農家で、自分の家の敷地に賃貸住宅を建て貸し出している。店子は全員、農村から都会に働きに来ている農民工だ。
浮き彫りになる 「農民内格差」
それにしても、大家はいったいどのような考えで、トイレに囲いを付けなかったのだろうか。
上海には19世紀後半から20世紀半ばにかけての租界時代に建てられた古い集合住宅が、近年に進んだ再開発でだいぶ数は少なくなったが今でも残っていて、こうした古い伝統的な住宅の中には、トイレのない物件が少なくない。それも、かつての日本によく見られた個々の部屋にトイレがない共同トイレのアパートとも違って、下水道や浄化槽が未整備だった名残で建物の中にトイレ自体がなく、「馬桶(マートン)」と呼ばれる「おまる」を使って、部屋の片隅で用を足していた。
しかし、シューが住んでいるような住宅は、この10年ぐらいに建てたものだから、ベニヤ板で囲うなりした独立したトイレのスペースはいくらでも作れたはずである。それを作らなかったというのは、トイレに対する感覚の違いということもあるのだろうが、上海人が地方出身者を「田舎者の農民工」と蔑むさまを町で、ネットで、雑誌で嫌になるほど見聞きしてきた私には、「便器を付けてやっただけでもありがたく思え」という大家の心の声が聞こえるような気がしてならない。上海の農民が、地方の農民を差別するという構図である。
心の声を聞いたというのは、あながち私の勝手な妄想ではない。なぜって、大家たちが自分たちで住む立派な母屋の方には、独立したトイレの個室をちゃんと設けていて、昨今では日本で「爆買い」してきた温水洗浄便座まで付けているのだから。