悪名高い、闇将軍の実像
拙著『ドン』が発売となり、ありがたいことに、大きな反響を頂いている。都知事選も含め、読者の判断に資するものとなれば幸いである。ドンに関する私論を1冊の本にまとめるにあたり、やはり、戦後日本の礎を築いた田中角栄元首相の業績を明らかにしなくてはいけないとあらためて感じた。彼こそは、ドンの中のドン、スーパードンなのだ。
2016年がロッキード事件での逮捕から40年だったこともあり、関連書籍の出版が相次ぎ、角栄ブームが続いている。角栄といえば、日本列島改造論とともに、土木建設業界を票田や資金源としてまとめあげた「闇将軍」というイメージが強く、ブームの中でも、日本列島改造論や日中国交正常化など総理総裁を狙える位置に立って以降のエピソードが語られることが多いが、私の見る角栄像は少し違う。
田中角栄が卓越した政治家であると私が評価する理由は、何よりもその議員立法の実績にある。
28歳で初当選してから10年ほどの間に25本もの議員立法を成立させている。当選から10年間は一般的に「陣笠議員」と呼ばれる時期で、党の指示に従って国会で投票だけをしていれば文句は言われない。下級武士がかぶった「陣笠」が語源といわれるこの言葉は、若手議員が大きな政策立案に関与せず、採決の人数合わせのために議場にいることを揶揄したものだが、20代の新人議員のころから自分の手で法案作成を手掛けた角栄は異例中の異例といえる。
最終的に42年間の国会議員生活の間に、1人で提案した議員立法が33件に達した。これは日本憲政史上の最高記録で、今後も破られることはないだろう。間接的な関与も含めれば100以上の法案作成にかかわっている。そして、そのすべてが、現在の日本の社会基盤の礎となっているから驚く。
角栄が初当選した昭和22年(1947年)は終戦直後。日本中の大都市は焼け野原と化し、復興を模索する中で、住宅、道路、電力、通信などあらゆる社会インフラが不足していた。
昭和26~27年は角栄の議員立法で道路法と電源開発促進法が施行された年だ。1人の若手政治家がたった1年の間に、戦後日本のインフラ整備を促進してその後の社会のあり方を変えてしまうような法律を2本もつくったことが信じられない。