今回はまず、角栄の代名詞ともいえる道路について紹介したい。
昭和20年代、日本の道路といえば天皇陛下の行幸のために整備された道路と、進駐軍の車両用の道路くらいしかなかった。もちろん、人々が往来するための「道」はあったが、きちんと整備された「道路」はまだ少なかった。角栄は、日本の隅々まで自動車が行き来できるような道路網をつくろうと考えた。
舗装道路というものは維持管理が大変なので、継続的に財源を確保するのが難しいと官僚たちは当初大反対だったという。
そこで、道路の維持管理のための財源として、角栄はガソリン税を考案した。これが近年まで続いた道路特定財源である。
官僚の大反対を「問題なし」と一喝!
当時はまだ自家用車も少なく、ガソリン税で全国の道路整備が賄えるほどの税収があるとは思えないという理由で、官僚はこちらも大反対だったそうだ。角栄はこうした抵抗を「道路がよくなれば車が増える。車が増えればガソリンが使われる。問題はない」と一喝した。
さらに、日本で初めての目的を特定した税金という点が、大蔵省(現・財務省)を刺激した。大蔵省が独占してきた予算配分の権限が奪われることを恐れたためだ。国会でも大蔵省に近い議員たちによる突き上げが続いたが、角栄は提案者としてほとんど1人で答弁し続けた。態度を硬化させた大蔵省に自ら乗り込み、「日本の再建の基礎は道路だ」と粘り強く説得してまわったという。
角栄が議員立法した道路法、ガソリン税法、有料道路法は道路三法と呼ばれ、日本の道路網整備の原点となり、その後の高度成長を支えた。
もちろん、角栄を道路整備にかりたてたのは、冬の間雪に閉ざされて交通が不便だった地元の新潟県を発展させるためであったのは間違いない。それでも、日本中が角栄の郷土愛の恩恵を受けているという事実に疑いはない。