リーダーとドンの深い関係
都議会議員選挙が迫っている。小池百合子都知事当選から約1年が経ち、この連載では「ドン」とは何者なのか。そして、ドンは、私たちにとって、敵なのか味方なのかということをお話ししてきたつもりだ。それはなぜか。もちろん、読者が一番知りたいことをお伝えしたかったという気持ちもあるが、これからのリーダーが読むプレジデント誌において、リーダーとして成功するには、見えない権力も必要なのかどうかを論じたかったのだ。
いうまでもなくこの国のトップリーダーは内閣総理大臣である。2001年の中央省庁改革以来、日本の行政は大きく「官邸主導」へと変化した。国の行政組織が、官邸に意思決定権限が集中するような仕組みになったのだ。政治・経済・内政・外交、あらゆる面で日本が置かれている厳しい現実を前に、この国の舵取りには、明確な理念を持った強いリーダーが必要なのだ。そして、強い指導力を発揮するには、「権力」の怖さ、権力を持つことに対する謙虚さが求められる。たくさんの人の話を聞き、そのうえで、決断すべきときにきちんと自分の意思で判断する。判断した以上はぶれない。その判断にすべて責任を持つ。
リーダーにとって、もう1つ大事なことは「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の区別だ。
自分の信念を持つことは重要だが、組織は個人の持ち物ではない。自分の置かれている客観的な状況、組織にとっての優先順位や緊急度といったことをわきまえて「やるべきこと」を整理した上で実行に移す。
最近では、自分の思い込み、自分の主張だけを声高に叫ぶ政治家や経営者が目につく。目の前の小事・些事にこだわって、正に「木を見て森を見ない」議論をしたり、経営コンサルタントや学者が無責任に吹聴することを何の疑いもなく部下に押し付けたりする連中だ。「やりたいこと」と「できること」の区別もつけられず、できもしない主張を振り回して、あれもやりたいこれもやりたい、と組み立てもないままに手あたり次第にお店を広げれば、失敗するのは当たり前だ。
いかに強い指導力とゆるぎない信念を持つリーダーといえども、一人でできることには限りがある。リーダーを支え、常にその意を体してリーダーの決断・意思を現実のものにしていく存在が必要だ。政界であれば、官僚組織や与党の議員、そして、ドンということになる。会社組織であれば現場やルールを知り尽くした叩き上げということであろう。
出来の悪い政治家の話をするときに、いつも例に挙げているのでさすがの私でも飽きがきつつあるが、民主党政権はやはりおかしなことだらけだった。今になって「民主党政権はおかしかった」という共通認識ができても「官僚を批判することが政治家のリーダーシップ」という風潮が国民に残ってしまっている。政治家と官僚がいがみ合い、相手を批判ばかりしていては、迷惑するのは国民だ。官僚組織というものは「道具」である。政治家はこの「道具」を正しく使って国民にとって最良の結果を生むように、国を運営する。役人を批判して仕事をしたような気になっている政治家は、自分の無能を告白しているようなものだ。もっとも、官僚組織はあまりに巨大だ。リーダーが一人ですべてを把握するのは難しい。