なぜ「踊る大捜査線」はドラマも映画も大ヒットしたのか
再放送で久しぶりに観た「踊る大捜査線」。主人公・青島俊作を演じる織田裕二の笑顔がまぶしくて、あの頃(90年代後半、いわゆる世紀末ね)の熱量を懐かしく思い出した。連続ドラマの映画化で大成功を収めた先駆者といってもいいだろう。
味を占めたフジテレビは「連ドラ→映画化」に力を注いできたが、興行収入で「踊る」を超えることはできていない。「踊る」の快挙はある種のレジェンドとなっている。なぜ、あれだけはねたのか。ドラマ戦略の成功例として振り返ってみる。
1990年代前半、台場はただの埋め立て地という印象だった。豊洲だって、今でこそ高級ベッドタウンだが、あの頃はススキが群生する野っ原だった。ベイサイドというよりは海っぺり。イベント会場のある晴海や有明は名も知れていたが、台場の知名度は微妙だったと記憶している。
ゆりかもめ、りんかい線(当時は臨海副都心線)が開通し、フジテレビが1997年に河田町から移転。「踊る大捜査線」は台場にある架空の警察署である湾岸署を舞台に、同年放送開始。あっという間に台場の知名度を上げたのだ。劇中、湾岸署は「空き地署」と揶揄され、空き地感たっぷりの風景も映し出された。
「お台場」の街づくりに貢献
ことあるごとにフジテレビは「お台場に移ってから呪われた」と言われてきたが、「踊る」のヒットで、台場の町おこしならぬ街づくりに多大な貢献をしたことは間違いない。
レインボーブリッジを封鎖する(未遂)という設定を描いた映画版は、港区台場を観光地として確立させ、話題のスポットに仕立て上げたわけだ。周辺地域の地価上昇にも貢献したはずで、巨額の金が動いたことだろう。
そうそう、架空だった湾岸署も本当に新設された。港区ではなく江東区だが、実在の警察署(東京湾岸警察署)になったのである。罪を犯した芸能人がここに送られることが多く、「踊る」を知らない世代は「湾岸署=芸能人御用達」の印象かもしれない。