借金2400万円を2年半足らずで完済
【弘兼】お目にかかって、見た目がお若いのでびっくりしました。今年で80歳には見えません。ファンケルのサプリメントの効果でしょうか。
【池森】サプリメントの販売を1994年にはじめてからずっと飲んでいます。
【弘兼】22年間、ですか。
【池森】ええ。今は朝晩に「池森賢二用」のサプリメントを飲みます。これは東京・銀座の「健康院クリニック」という私が私財を通じて設立した予防医療を提供する施設で、血液検査などで体を調べてもらい、処方されたものです。
【弘兼】病気になる前の「未病」の方が病気を予防するために行く施設ですね。そのサプリメントをファンケルで販売するずっと前、池森さんはコンビニエンスストアを起業。
【池森】正確に言えば、コンビニではなくて、ボランタリーチェーン(VC)。70年代にアメリカでセブン-イレブンなどのチェーン店が伸びていることを知り、共同仕入れで取引品の原価を下げ、店舗に商品を供給すれば儲かると思ったのです。
【弘兼】しかし、上手くいかなかった。
【池森】友人たちとはじめたのですが、今振り返れば「船頭多くして船山に上る」、先導者が多すぎてまとまりがつかないという状態でした。
【弘兼】そして池森さんは個人保証した2400万円の借金を背負うことになってしまいます。それを2年半足らずで完済されたとか。
【池森】東京・江東区でクリーニング屋を開業していた兄に借金の相談をしました。そうしたら、「(クリーニング屋の)外交をやれ」と。
【弘兼】クリーニングの外交とはお客さんの家を回って注文を取っていくことですね。
【池森】はい。外交の仕事をはじめて、私は独身や若い夫婦の多い、ある団地に目をつけました。そこの住人は「クリーニングに出すのはいいが、仕事帰りに引き取ろうと思っても店が閉まっていて困る」と言うので、私は夕方4時から夜中2時ぐらいまで団地を回ることにしました。
【弘兼】一軒一軒に聞いて回るのは大変な作業です。それに、いつもクリーニングに出す洗濯物があるわけではありませんよね。
【池森】そこで、洗濯物があるときはドアノブに白い札をぶら下げてもらうようにしました。団地を回るのは週2回。水曜日に預かった衣服を土曜日に届けて、土曜日に預かったものを水曜日に届けていました。
【弘兼】働くのは週2日だけだった?
【池森】ほかの日は、お風呂の汚れを掃除するという仕事をはじめました。風呂釜を外して、浴槽のぬめりを洗う。それで元の場所に風呂釜を戻して4500円をもらえる。ボランタリーチェーンをはじめる前、私はガス会社に勤めていたので、風呂釜を取り付けることができました。
【弘兼】借金返済のためクリーニング屋、風呂の掃除と働き詰めだった。
【池森】睡眠時間は1日4、5時間程度だったでしょうか。当時は女房の実家に居候していました。仕事が終わった夜中2時に玄関から入るわけにはいかないので、家内に頼んで裏の雨戸を開けておいてもらって出入りしていました。朝は7時、8時には出かけてしまうので、家族とはほとんど顔を合わせない。30代後半とまだ若かったし、体力があったからできた。2400万円という金額は簡単には返せません。それを2年半足らずで達成できたことは、すごい自信になりました。