大企業の面接で惨敗、留年で人生の歯車狂う
【弘兼】先ほどオフィス内で弁当が300円前後で売られていました。美味しいコーヒーが160円で飲めるカフェも併設されています。
【森田】創業者の笠原(健治)もよく列に並んで弁当を買っていますよ。このオフィスには今年9月に引っ越してきました。
【弘兼】パーテーションで区切られた社長室もなく、森田さんも社員とデスクを並べているんですね。いかにもIT系の企業といった開放的な雰囲気です。やはり子どもの頃から自分がこういう業界に進むというイメージはあった?
【森田】いや、全然なかったです。
【弘兼】将来の夢は?
【森田】多くの子どもと同じです。野球をやっていたので、将来は野球選手になりたいとか。大学に入ってからは野球を真剣にやっていた反動か、あまり将来のことを考えていませんでした。スキューバダイビングのサークル活動に明け暮れていましたね。
【弘兼】そのうちに、就活が始まります。ゲームメーカーを中心に受けたのですか?
【森田】いや、ゲームメーカーは受けていません。大学時代はちょうど弘兼先生の「島耕作シリーズ」を愛読していました。それで働くというのは、島耕作のようにスーツを着て会社勤めをするというイメージだったんです。だから、世間一般的に名の通った大企業をしらみつぶしに受けて、ことごとく落ちました(笑)。
【弘兼】大学卒業後はアルバイトをしていたとか。
【森田】歯車が狂ってしまったんですね。大学を留年してしまい、卒業できなかった。大学生のときから、スノーボードとかスキーとかを扱うスポーツショップでアルバイトしていました。卒業後もそこでアルバイトをしていたんです。