売上高はこの30年間で約40倍。山口県の山奥にある酒蔵に、愛飲家が押し寄せている。お目当ては日本酒「獺祭(だっさい)」。「純米大吟醸酒」として日本一の出荷量を誇り、世界20カ国に輸出されている。200年以上の歴史をもつ酒蔵は、なぜ生まれ変わったのか。その挑戦とは――。
【弘兼】ぼくたちの若い頃、酒と言えば、まずはウイスキーでした。それからワインを飲むようになりました。日本酒を頻繁に飲むようになったのは最近になってからです。年齢のせいかな、とも思いますが(笑)。
【桜井】弘兼さんの感覚は鋭いと思います。いま「日本酒ブーム」だといわれますが、その前段階には間違いなくワインがありました。日本人が日本酒を飲むために、ワインが必要だったというのは情けない話ですが。
【弘兼】海外でもワインの代わりに飲まれるようになっていますね。日本酒の輸出額は年々伸びていて、2013年には100億円を超えました。さらなる成長が期待されています。
【桜井】当社の純米大吟醸酒「獺祭」も、海外での売り上げが伸びています。世界に日本酒のよさを訴えたいですね。
【弘兼】旭酒造は、私の出身地でもある山口県・岩国市の酒蔵です。1770年から続く老舗ですが、長男として家業を継ぐことを考えるようになったのはいつ頃からですか。
【桜井】子供の頃の夢は宇宙飛行士でした。高校生ぐらいのときには「自分が家業を継ぐのだろうな」と意識するようになりました。
【弘兼】松山商科大学(現・松山大学)を卒業した後、大手の西宮酒造(現・日本盛)に入社されています。
【桜井】修業のつもりで、家業は隠して働きました。普通、酒蔵の息子が入社すると、製造に配属されるのですが、ぼくは一般応募で入社していますから営業に配属されました。