伝統ある名前を捨てて「負け癖」を叩き直す
純米大吟醸「獺祭」の出荷が始まったのは、1990年のことだ。旭酒造は、山口県岩国市周東町獺越(おそごえ)にある。桜井は以前から地名の「獺越」を取り入れたいと考えていた。あるとき司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』のなかで正岡子規の「獺祭書屋主人」という俳号をみつける。桜井はここから、新しい酒を「獺祭」と名付けた。純米大吟醸は小規模な仕込みでしか造ることができない。地元で4番手の小さな酒蔵という不利を、強みに変える挑戦だった。
【桜井】日本酒が売れなくなったのは、日本酒に求める機能が変わっていたにもかかわらず、酒蔵がそれに対応してこなかったからです。私はある先輩からこんなことを言われました。「昔は花見のとき、みんな酒を飲んで動けんようになって、辺りに転がっていた。最近は素面(しらふ)で帰る。日本酒が売れないのは当たり前だ」。
【弘兼】酔いつぶれるまで酒を飲む。そういう習慣は廃れましたね。
【桜井】もう50年以上前ですが、ぼくらが小学生の頃、2級酒1升が約500円でした。それは大工や左官といった職人さんの日当とほぼ同じ。いまなら2万円ぐらいでしょうか。だから大酒飲みは、並外れた浪費家でした。いまとは感覚が違いますね。
【弘兼】日本酒はぐっと手頃な飲み物になりましたが、酒の種類は大幅に増え、飲み方も変わりました。
【桜井】日本酒に求められる機能が変わっているのだから、以前と同じように量を飲んでもらうことを前提とした経営では生き残れません。ほろ酔いでも楽しめる酒を造ろう。そう思って挑戦したのが「獺祭」です。
【弘兼】いい名前ですね。「ダッサイ」は外国人にも発音しやすい。
【桜井】最初は「変な名前だ」と冷ややかな反応が多かったんですよ。
【弘兼】「旭富士」という伝統のある名前にはこだわらない、と。
【桜井】同じ名前を使えば、負け癖のついた商習慣を引きずることになります。そうすれば、値引きをしたり、豪華な化粧箱に入れたり、中身以外での勝負になってしまう。新しい酒では中身で勝負したかった。だから箱やラベルはできるだけ素朴でシンプルなものにしました。