【塩田】山口代表はもう一回、衆議院議員を目指して総選挙に出馬する考えは。

【山口】いや、それは考えられない。参議院で選んでいただき、その使命があります。

【塩田】山口代表は弁護士の出身ですが、なぜ政治の道を志す気持ちになったのですか。

【山口】学生のときや弁護士になった頃は、政治家にという気持ちはまったくありませんでした。世の中で苦しむ人や困難に直面する人のために専門的な技術や知識を役立てたいと思って法曹の資格を取得しましたが、学校の先輩の神崎武法さん(元公明党代表。元郵政相。弁護士)から「公明党に定年制を設けて世代交代を図っていきたい。いろいろな分野の人をスカウトしている」と誘われたのがきっかけです。

弁護士は法律が仕事の道具で、時代に合わなくなった法律は変えてほしい、新しい法律をつくってほしいと思うことがありました。たとえばサラ金の事件で、規制が緩いから過酷な取り立てが行われ、一家離散や一家心中が日常茶飯事でしたが、規制する法律ができたら瞬く間に減った。その現実を見て、法律の力はすごいと思った。しかし、時間が経つと、また新手が出てきて、困る事態が生じる。立法が敏感に対応することが大事だと思いました。弁護士は依頼された事件を解決しますが、同じ課題は全国で起こっていて、弁護士一人の力には限界がある。法律や予算は全国に行き渡り、いっぺんに解決を図ることができる。法律を使った経験を、法律をつくる場で役立てようと思いました。

人道的な国家像を積極的に推し進めたい

【塩田】今は歴史の中でどんな時代と受け止めていますか。

【山口】未曾有の高齢化・少子化が進む時代です。人口構造の大きな変化の下で、高くなった生活水準を維持し、極端な低下を招かないようにしなければなりません。いずれこの構造がもう少しノーマルなものに変化していきますが、長い時間がかかります。大きな視野、長い目で対応していくことが大事です。他方、資源も乏しく、領土も小さい日本が国際社会の中で共存していけるように、尊敬を集め、範を示していける国にしていかなければならないと思います。人道的な国家像、国柄を積極的に推し進めていきたい。

【塩田】政治家としてこれだけは達成しておきたいという目標は。

【山口】個人として長年、対人地雷の除去活動に取り組んできました。当選まもない頃、カンボジアやベトナムに行ったとき、ベトナム戦争や内戦で、地雷に被災する人が大変多かった。日本の技術で何とか取り除けないかと思い立ちましたが、誰も関心がないし、実際に手をつける人がいなかった。1期6年の参議院議員になって腰を落ち着けて取り組めると思ったとき、地雷の製造保有を禁止するオタワ条約ができました。ですが、実際には地雷の除去作業は誰もやっていない。日本の建設機材を活用・応用して除去機をつくろうということで予算を設けてもらった。対人地雷に限って、人道的な機材だから武器の対象から外して、日本で開発した地雷除去機を輸出できるようにした。日本のメーカーが熱意に共感して、開発に力を入れてくれた。カンボジアで除去が進み、アフリカのアンゴラ、モザンビーク、南米のニカラグア、コロンビアなどの地雷汚染国に対する日本の支援を広げています。ライフワークとして続けていきたいと思っています。

山口那津男(やまぐち・なつお)
公明党代表
1952(昭和27)年7月、茨城県那珂郡那珂湊町(現在のひたちなか市)で生まれ、日立市で育った(64歳)。父は日立市天気相談所長、母は小学校教員。茨城県立水戸第一高、東京大学法学部卒。79年に司法試験に合格し、82年に東京弁護士会に弁護士登録。88年に日本弁護士連合会に出向する。90年2月の総選挙に旧東京10区から公明党公認で出馬して当選(以後、衆議院議員2期)。94年12月、公明党解党で新進党の結党に参加する。96年10月と2000年6月の総選挙で連続落選し、5年のブランクを経て01年7月の参院選で東京都選挙区(当時は定数4)から公明党公認で出馬して当選し、政界復帰を遂げた(現在、参議院議員当選3回)。04年に公明党参議院政策審議会長、08年に党政務調査会長に。09年9月、総選挙で落選した太田昭宏代表(後に国土交通相)の後任の代表となる(現在、5期目)。趣味は音楽鑑賞とカラオケ。中学時代はトロンボーンの奏者。1女2男の父。
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