公明党は政権の安定という役割を果たす
【塩田潮】公明党代表就任は2009年9月で、ここまでの7年9カ月が経過しました。
【山口那津男(公明党代表)】公明党は09年の総選挙で野党となりましたが、当時の党代表、幹事長、その経験者など主要メンバーを落選で一気に失いました。どん底でピンチヒッターとして代表となり、一番、腐心したのはどん底からはい上がれるかどうかでした。
党のアイデンティティ、なぜ今、公明党が必要か、自画像をみんなで議論し、3つの点を考えました。第1点は「大衆とともに」という立党精神。民主主義の基本的原理に通じるこの精神を誇りに思って大切にしていく。第2点は「平和の党」「福祉の党」という公明党のブランドイメージ。連立政権を経験して培った外交や安全保障、マクロ経済などの政策分野も含め、党のイメージを広げていく。第3点は党のネットワークの力。公明党の最大の特徴は3000人に上る地方議員がいることです。歴史的に地方政治からスタートし、市区町村、都道府県の議員、それに衆参の国会議員が層をなしてネットワークを形成し、国民の生活に根付いています。そのパワーを今後も生かしていく。これが再出発の原点でした。
【塩田】12年12月の総選挙で当時の民主党が大敗し、政権交代が起こりました。公明党は「野党の道」ではなく、再び自民党との連立政権を選択しました。
【山口】民主党政権時代、政権担当能力がないと厳しく批判してきましたが、「政権の安定」が重要と思いました。09年まで1年ごとに首相が交代して一度、政権を失いましたが、二度と失敗してはいけない。衆参ねじれで、自民党も単独で政権を担う基礎力が弱っていた点を考え、持ち味が違う公明党と自民党で幅広い民意を受け止め、政権を担っていくことが日本の政治の安定のために必要と判断したわけです。
【塩田】自民党は安倍晋三総裁だったから、再連立は「安倍首相」が前提でした。
【山口】私は安倍さんとはそれ以前、接点はあまりなかった。私は1990年の総選挙で衆議院議員となりましたが、安倍さんは次の93年の総選挙が初当選です。私は93年の細川護煕内閣に防衛政務次官で政権入りしましたが、自民党は野党だったので、接触はなかった。私は次の96年総選挙で落選し、5年のブランクの後、返り咲いたのは参議院議員でした。
【塩田】第2次安倍政権での公明党の役割をどう捉えましたか。
【山口】公明党の特徴を生かして、共に進むべき課題についてはアクセルを踏む。民意とずれが生じたり国民の意見が割れるテーマでは、言うべきことを言い、チェックもする。そういう機能が大事だと思いました。市区町村議員も、党公認の当選議員数では自民党よりも公明党のほうが多い。地方に根を張り、民意の奥をつかむという公明党の機能に自信と誇りを持って、政権の安定という役割を果たそうと強く自覚していました。
【塩田】自民党との再連立で、創価学会からの注文や期待は。
【山口】ストレートにはありませんが、連立合意について考え方を説明する機会があります。政権と政治の安定は強く望んでいて、庶民、大衆に根差した視点で、少子高齢化に伴う医療や介護の充実などの社会保障の機能強化、子育て支援では子どもの医療費の無料化や幼児教育の無償化という声があり、公明党はきちんと受け止めてやってきました。