【帝王学に3つの柱】
この「帝王学」には、以下に記すような3つの柱があります。
今回はその3本の柱を紹介するとともに、第1の柱である原理原則とそれを教えてくれる師について紹介します。
(1)原理原則を教えてもらう師をもつこと
これが第1の柱です。
では、原理原則とは何でしょうか。昔は通用したが、今では通用しないという考えでは、原理原則としての価値はありません。いついかなる時代にも、どんな場所でも通用するのが原理原則の原理原則たるゆえんであり、それを教えてくれる師をもつことです。
(2)直言してくれる側近をもつこと
第2の柱の好例には、蒙古の英雄・ジンギス汗の側近・耶律楚材(やりつそざい)がいます。
ジンギス汗がややもすると武力万能を主張するのに対して、高度な文化への関心と敬意の必要性を説き、蒙古自身も高い文化をもつように直言します。そして、「せっかく武力で征服したというものの、この金国を完全に支配することはできません。いや、それどころか、いつかは蒙古が金国に吸収され、逆に金国によって支配される破目となりましょう」とまでいいました。そして、「武力で天下をとることはできる。しかし、武断政治では天下は治まらない」という名言を残しました。まさに名側近の姿がここにあります。
(3)よき幕賓をもつこと
「幕賓」(ばくひん)とは、出仕することを好まず、一種の浪人的風格と気骨をもった人物のことで、現在で例えるなら、「顧問」「社外重役」であり、「パーソナル・アドバイザー」のこと。中国の代表的な兵法書『六韜三略』(りくとうさんりゃく)に、帝王たるもの、一流の幕賓を得るためには爵禄(地位とお金)を惜しむな。かといって、爵禄で釣ろうなどと思ってはいけないと書かれています。矛盾しているようだが、これが幕賓に対するけじめであり礼儀だったのです。
それだけに、幕賓が何人いるかが、帝王の器量をはかるメルクマール(指標)となっていました。