【胆識をもて】

立派な幕賓の最も重要な資格は、「胆識」をもっていることです。では、胆識とはどのようなものでしょうか。

知識は、断片的なことを記憶しているというだけの単なる大脳の働きにすぎず、それだけでは行動力へとつながりません。しかし、精神活動に理想が生まれ、志をもつようになると、それが知識と結びついて、道徳的・心理的判断ができるようになります。それが「見識」です。見識は人から借りることもできないし、付け焼き刃で身につくものでもありません。修業する以外に見識を身につけることは不可能なのです。

しかし、どんなに見識をもっていても、現実に事を処理し、進めることは容易ではありません。そのためには、さまざまな利害や矛盾や意見を抑え込んで、実践する決断力が必要になります。つまり、見識にこの決断力が伴ったものが「胆識」です。

『「帝王学」がやさしく学べるノート』伊藤 肇 (著)プレジデント書籍編集部 (編集)プレジデント社

【浪人的風懐を身につけよ】

幕賓の第2の資格は「浪人的風懐」です。「浪人的風懐」につい孟子が、次のように明快に規定しています。

「仁という最も広い住まいに暮らし、礼という最も正しい位に立ち、義という最も大きな道を堂々と歩く。これぞ大丈夫(おとこ)の中の大丈夫といわれる人物の生きかたである。そして、自分の志が世に受け入れられれば、その道を行い楽しむ。だが、もし、志が世に受け入れられなければ、独り、自分の正しい道を行っていく。それが大丈夫(おとこ)たるものの人生への姿勢であり、いかなる富貴や快楽をもってしても、その精神を蕩(とろ)かして堕落させることができず、また、いかに窮乏の苦しみで圧迫しても、その志を変えることはできない。さらにいかなる権力、武力で脅しても、些(いささ)かも屈しない。それこそ大丈夫(おとこ)というべきであろう」

第1の資格である「胆識」と微妙に絡んできますが、『十八史略』に「時務ヲ知ルハ俊傑ニアリ」とあります。ビジネスの「事務」のほうは、ある程度の基礎さえあれば、機械的にやればすむが、「時務」となると、「時」の文字が示すとおり、その時、その場、その問題に対して、その人間がいかになすべきかという活(い)きた方策が必要になるため、その人物の教養・信念・胆識・器量といったものが不可欠になります。

空理空論を口走り、いたずらに悲憤慷慨するだけで、現実の問題を何一つ解決できない輩は「俊傑」とはいえません。つまり、今まさに直面している問題のなかで、何が最も重要な課題かを識別し、これを現実的に処理する能力のある人物を指して「時務ヲ知ルハ俊傑ニアリ」といっているのです。