どうやって規模を拡大したのか?
イオン創業家である岡田家には「大黒柱に車をつけよ」「上げに儲けるな、下げに儲けよ」という有名な家訓があります。
同時に、企業である前提としての考え方があり、7つくらいに整理できるように思います。それは、「会社は社会の機関である」「仮に人でも、社会からの預かりもの」「経営者しかできないことを厳密にきちんと理解している」「企業と家業を厳密に区分している」「店は客のためにある」「人と共に成長する会社」「利益の正当性」です。
例えば、「企業と家業を厳密に区分している」を説明すると、岡田家には「見競勘定(みくらべかんじょう)」という、今で言う貸借対照表(B/S)のようなものがありました。本来、商人が使うのは、いくら売って儲けたかという損益計算書(P/L)だけ。ところが、岡田家では資産、そして資産の源泉がどこから出てきたのかを表すB/Sを大切にしてきました。
その証拠に帳簿も店と奥使いは別に記載していました。奥というのは、個人の岡田家が使ったお金です。家業と企業のお金の使い分けができなければ、経営者は会社を成長させることはできません。岡田家は公私の区別をはっきりさせていました。
私は岡田卓也イオン名誉会長相談役と、彼を陰で支えた姉の小嶋千鶴子という創業家の2人の経営者を40~50年間見てきました。その意味で、イオンが「人と共に成長する会社」であったことを実感します。
私が小嶋に「あそこの会社、大きくなりましたわ」と言うと、彼女は「膨脹しているだけや」という言い方をしました。膨脹というのは成長とは違います。たまたま時流に乗っただけで、人が育っていないのです。「仮に人でも、社会からの預かりもの」にあるように、岡田家には人をきちんと育てていけば、会社も育っていくという考え方が基本にあります。岡田屋時代から、昇進は年功序列ではなく、課題図書に基づいた登用試験制度をしていました。
小嶋は相続人がいなくて23歳で岡田屋の社長にならなければならなかった。そこから経営を学んで、2~3年で管理部門を掌握したほどの勉強家です。読書家でもあって、ビジネスの本でも専門書を読む。小嶋も岡田も、朝から晩まで本当に会社のことを考えていました。
岡田家の流儀は、創業家や先代から伝わった知識を自分たちで勉強したり体験して得たこととうまくミックスして自分たちのものにしてできたのだと私は思います。
とくに企業では体験で得たものが重要な要素となってきます。創業者というのは、哲学、人間観、事業観を自分の会社の中核に据えている。そこには自分の体験も入っています。会社=自分なんです。