幸せな漁師の暮らしは、簡単に崩壊する
先ほど紹介した「メキシコの漁師とMBA旅行者」において、漁師は、MBA取得の旅行者がすすめるようにお金を手段として遣わなくても、すでに自分の幸福に必要なものはすべて手に入れています(妻や子供など愛する人や友人との時間、十分な休暇、あくせくしない日常など)。
なのに、この先20~25年回り道(旅行者の成功プラン)をしてもう一度同じ場所にたどり着くのに何ほどの意味があるのかということです。
MBA旅行者は、手段としてのお金を稼ぐこと自体が目的となってしまっているということです。であればMBA旅行者は目の前に、すでに目的が実現しているのに気づいていないということでしょうか。
僕は、まるっきり違うと思います。
漁師が今いる状況と、20~25年の歳月をかけて同じ場所にたどり着く状況の間には表面的には全く違いがないように思えます。
しかし、漁師が漁をしている状況は、未来永劫魚がとれることが前提となっています。自然環境が悪化したり、海水の温暖化によって売れる魚が獲れなくなったりすれば、その生活は終了します。
また、漁師が怪我や病気をしたり、老いて働けなくなったりしたら、やはりそれまでの生活を送ることは困難になるかもしれません。ハリケーンや津波の襲来でその漁村が丸ごと破壊されてしまったらどうでしょう。
3.11の東日本大震災の際、僕はしばらく家族をホテル暮らしさせて準備をしたあとで、都内から岡山に移住させて数年間を岡山で過ごしてもらいました(現在は再び都内在住)。
経済基盤がすべて破壊されるような状況であっても、富裕層には早々にエリアを退避して、別の場所で事業を再開するだけの余力がありました。住宅が津波で流されて二重ローンになったり、借入金のリスケを迫られて資金繰りに窮したり(銀行からの借入金で自前の水産品加工工場を建て、そこに魚を入れる仕事をしていたような人々など)していました。
一方、僕は仙台港近くに所有していたホテルが津波に直撃された状況でも幸い資金が潤沢にあったため、比較的早く、1階部分の修繕やコンピューターシステムの入れ替えなどをすることができました(計5000万円ほどの出費)。さらに、復興関連の工事作業者の人々に宿として貸し出すことができ、その後に転売することにも成功しました。