博士号合格時には決めていた就職

1959年6月、大阪市生野区で生まれる。父がケーキ屋を立ち上げたばかりで、両親が忙しく、小学校に入るまで兵庫県姫路市の父の実家で育つ。妹が2人で、順番に姫路へきて、それぞれ小学校に入る前に大阪へ戻った。中学時代は野球部で、府立住吉高校では1年だけ柔道部。友人が「1人で練習をみにいくのは心細い。付いてきてくれ」と言うのでいったら、「お前も入れ」とつかまった。

同志社大学工学部の工業化学科へ進み、卒業後は就職するつもりだったが、納得する仕事がみつからず、大学院へいく。担当教授が京大で博士号を取っていた縁で、京大の博士後期課程に入ったが、学位論文が審査を通った87年3月下旬には、就職を決めていた。

同4月に鐘淵化学工業に入社、高砂の合成樹脂研究所に配属された。会社案内にベルギーでの仕事が紹介されていて、面白そうだと思い、2年に1度の自己申告書に「海外勤務希望。ベルギー」と書く。すると、課長に呼ばれて「ダメだ。きみはドクターで入ったのだから、一生、研究所だ」と言われた。でも、その後にきた新所長が米国留学の経験を持ち、「ぜひいきなさい」と認めてくれた。

2014年4月、54歳で社長に就任。カネカは、1949年に鐘淵紡績(旧カネボウ)の非繊維部門が独立し、翌年に塩ビ樹脂の量産を始め、53年にマーガリンに加えるショートニングを本格生産し、化成品と食品事業の源流となる。いま、それに加え、強化剤などの機能性樹脂、発泡樹脂、かつら用合成繊維材料、電子材料、医療器、ライフサイエンス、太陽熱利用の9事業分野を持つ。

社長になって、社内報に事業拡大へ決意を表明した後、こう書いた。「市場開発をするうえで、製品スペックだけでは、顧客が採用・購入する理由になりにくい。儀礼的な会社同士の付き合いだけでなく、人・技術の信頼関係が重要だ」。常に信頼関係第一で、「爲者敗之」であることを、社員たちに確認したかった。このとき、取締役のなかで、最年少だった。

カネカ社長 角倉 護(かどくら・まもる)
1959年、大阪府生まれ。87年京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了、鐘淵化学工業(現カネカ)入社。2009年高機能性樹脂事業部長、10年執行役員、12年取締役常務執行役員。14年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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